米ジャンクヤードで見つけた「廃車」 40選 後編 朽ちた名車の味わい

公開 : 2024.05.18 18:25

米アイオワ州アリソンのジャンクヤード「ロンズ・オート・サルベージ」を巡る写真ツアー(後編)。時間の流れを感じさせ、さまざまな物語を思い起こさせる “廃車” を堪能する。

フォルクスワーゲンビートル

(この記事は「後編」です。前編と合わせてお楽しみください)

ほとんど紹介する必要のないクルマだ。なんといっても、65年間も生産されたフォルクスワーゲン・ビートルは、史上最も成功した象徴的なクルマの1つである。全2150万台のうち、約500万台が米国に輸入された。

フォルクスワーゲン・ビートル
フォルクスワーゲン・ビートル

シボレー・デラックス – 1951年

この1951年型シボレー・デラックスは困難に打ち勝ち、70年以上も生き延びてきたが、まもなくスクラップにされようとしている。このひどい状態を考えれば、驚くにはあたらない。写真の山の中でも屈指のクラシックカーである。

シボレー・デラックス - 1951年
シボレー・デラックス – 1951年

フォード – 1951年

シボレー・デラックスとは対照的に、この1951年型フォードはもう少し長生きしそうだ。ボディパネルはシボレーよりずっときれいだが、よく見ると深刻な腐食がある。何十年もの間、窓が欠けていることは明らかだ。内装は腐り落ち、シートは骨格がむき出しになっている。

フォード - 1951年
フォード – 1951年

シボレー・インパラ – 1964年

この1964年型シボレー・インパラ2ドア・ハードトップは、おそらく汚れや腐食から足回りを守るために車輪の上に置かれていたようだ。残念なことに、この措置は遅すぎたようで、フロアはすでに広範囲にわたって腐ってしまっている。修復の見込みはほとんどなく、ヤードの山の中で破砕される運命をたどるのは時間の問題だ。

シボレー・インパラ - 1964年
シボレー・インパラ – 1964年

フォード・カントリー・セダン – 1958年

1950年代後半、ステーションワゴンは間違いなく流行の真っ只中にあった。1958年だけで約9万人の消費者がフォード・カントリー・セダンを選んだ。長距離の家族旅行に使われ、後部座席で子供が車酔いしたり、飲み物をうっかりこぼしたり、「まだ着かないの?」と文句を言ったり……この1台からさまざまな物語が想像できる。

かつてこの中に乗っていた子供たちと同じように、このクルマの外観も数十年の間に大きく変化した。

フォード・カントリー・セダン - 1958年
フォード・カントリー・セダン – 1958年

マーキュリー・クーガー – 1974年

3代目マーキュリー・クーガー(1974~1976年)は売れ行き好調で、初代モデルの成功には及ばなかったものの、2代目よりも50%多く売れた。モデルラインは2ドア・クーペのみにスリム化され、コンバーチブルは廃止となり、XR-7というグレードが標準とされた。これは1974年に販売された9万1670台のうちの1台である。

マーキュリー・クーガー - 1974年
マーキュリー・クーガー – 1974年

ビュイックセンチュリー – 1986年

あまり気づかれることなく、ひっそりと道路から消えていくクルマは魅力的だ。少し前まで、この時代のビュイック・センチュリーは至る所を走り、街角を飾っていた。しかし、瞬く間にほとんど姿を消してしまった。第5世代(1982~1996年まで)は220万台も生産されたにもかかわらず、今日残っているのはほんの一部。この1台は、1986年に生産された26万9000台のリミテッド・セダン(Limited Sedan)のうちの1台である。

ビュイック・センチュリー - 1986年
ビュイック・センチュリー – 1986年

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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