夢のように走った「RR」 3台のワークス・シュコダ 130/フェイバリット/120 ラピッド(2) クラス優勝の常連

公開 : 2024.06.02 17:46

24時間レースでもクラス優勝 夢のように走る

サイモンの父、故トニー・ディキンソン氏は、1970年代から英国シュコダと協力。F2用のハート420エンジンを積んだシルエット・クーペで、レースを戦った経験を持っていた。トニー自信が、ワークスドライバーに選ばれたのは自然な流れだったといえる。

1983年6月、彼はティム・リード氏と、アンディ・ウーリー氏、ビル・ハント氏とともにチームを編成。スネッタートン・サーキットで開催された、ウィルハイア24時間レースに参戦した。

シュコダ120 ラピッド・クーペ(グループN/1983〜1990年/英国仕様)
シュコダ120 ラピッド・クーペ(グループN/1983〜1990年/英国仕様)

ラピッド・クーペのブレーキやタイヤは24時間持ちこたえ、エンジンオイルの消費量も0.5L程度。平均時速101.4km/hの記録とともに、クラス優勝を勝ち取っている。レース後、トニーは「クルマは夢のように走りました」と印象を口にした。

翌1984年の同イベントにも参戦。前年と同じクルーで挑み、完走はしたものの、クラス3位で終えている。

1985年は活動を休止するが、1986年はドニントンパーク・サーキットで開かれた4時間の量産サルーン・イベントへ。トニーはジョー・ウォード氏とのペアで92周を走り、ここでもクラス優勝を掴んだ。平均時速は、91.9km/hだったという。

かくして、英国シュコダによるサーキットでの活躍は、その年で終了。ラリーへの参戦継続へ多大な投資が必要になり、避けられない決断だった。

ラピッド・クーペは36年間保管された後、2023年にサイモンが復活を決意。サスペンションは粉体塗装され、ブッシュ類が交換された。

初期のポルシェ911に似た走り

オリジナルのエンジンは降ろされ、大切に保管されている。現在リアに載っているのは1289ccユニットで、シングル・ウェーバーキャブレターが燃料を送る。

公道を走らせると、まさに珠玉。イグニッション・カットオフと燃料タンク用ポンプのスイッチ以外、インテリアはほぼ量産車のラピッドと変わらない。ステアリングホイールやペダルは、軽く扱いやすい。

左から、シュコダ・フェイバリット 136 Lと、130 LR、120 ラピッド・クーペ
左から、シュコダ・フェイバリット 136 Lと、130 LR、120 ラピッド・クーペ

シフトレバーはストロークが長く、ゲートが曖昧。アクセルレスポンスは常用しやすいが、大きなキャブレターが載り、高回転域まで積極的に吹け上がる。リアエンジンらしい挙動は、初期のポルシェ911へ似ている。サウンドも、後ろから響いてくる。

ステアリングの反応は、驚くほどシャープ。ガソリンが余り入っていないためか、フロントのブレーキは、簡単にロックしてしまう。アンダーステアは抑えられ、カーブで加速していくと、リアタイヤの外側に荷重が移り安定性が増す。

僅かにアクセルペダルを緩めると、コーナリングラインが内側へ絞られる。軽快な身のこなしで、操縦性は親しみやすい。当時の同クラスのモデルより、数歩先ゆく運転体験を提供していたことが見えてくる。

今はフォルクスワーゲン傘下になった、チェコのシュコダ。欧州では堅実なメーカーとして、一定のブランドイメージが築かれている。過去のモータースポーツでの活躍が、その一部を醸成してきたことは疑いようがない。

協力:シルバーストン・ラリースクール、サイモン・ディキンソン氏、サイモン・デイリー氏、ジョン・メリング氏

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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