たった1年で販売終了? 米国の希少車 42選 前編 「大人の事情」で打ち切られたクルマたち
公開 : 2024.05.26 18:05
限定生産、不人気、新型が出るまでの “つなぎ” ……さまざまな理由で1年限りで米国市場から撤退したクルマを42台紹介する。今も絶大な知名度を誇るマッスルカーから、ほぼ無名のミニバンまで。
もくじ
ー米国で短命に終わったクルマたち
ークライスラーC-300(1955年)
ーシボレー・コルベット・スティングレイZ06(1963年)
ーフォード・フェアレーン・サンダーボルト(1964年)
ーシボレー・シェベルZ16(1965年)
ーシェルビーGT350 R(1965年)
ートライアンフTR250(1967年)
ーシェルビーGT500 KR(1968年)
ーシボレー・カマロZL-1(1969年)
ーシボレー・コルベットZL1(1969年)
ーダッジ・チャージャー・デイトナ(1969年)
ーフォード・トリノ・タラデガ(1969年)
ープリムス・バラクーダ440(1969年)
ーポンティアック・ファイヤーバード・トランザム(1969年)
ーAMCレベル・ザ・マシーン(1970年)
ークライスラー300ハースト(1970年)
ーオールズモビル・ラリー350(1970年)
ーオールズモビルW31(1970年)
ープリムスAARクーダ(1970年)
ープリムス・ロードランナー・スーパーバード(1970年)
ーAMCホーネットSC/360(1971年)
ーダッジ・チャージャー・スーパービー(1971年)
米国で短命に終わったクルマたち
米国でわずか1年しか売られなかったクルマは数多い。限定生産モデルもあれば、何らかの欠陥によって販売が打ち切られたものもある。
例えば、マクラーレン・エルバは最高出力815psを発生し、0-100km/h加速をわずか2.8秒で走破する限定生産のスーパーカーだ。フォードの高級車部門リンカーンは、ピックアップトラックの高級化に挑戦したがあっけなく失敗に終わる。新興企業コーダは販売開始から1年で破産申請することになった。
このように、1年で販売が終了したのにはさまざまな理由がある。今回は、少量生産の希少車からエキゾチックな欧州車、無名の不人気車まで、無慈悲な米国市場で短命に終わったモデルを年代順に紹介する。
クライスラーC-300(1955年)
高級車であり、レース用のホモロゲーション・スペシャルでもあったクライスラーC-300。NASCARレースに参加するために発売され、最高出力300psの331立方インチ(5.4L)V8エンジンを搭載する、1955年の市販車の中で最もパワフルなモデルだ。
同年の限定モデルであり、大半のライバルとは対照的に、ボンネットオーナメント、巨大バンパー、フィンなど華美な装飾やクロームメッキはほとんど施されていない。シンプルでクリーンなラインを追求した、不朽のデザインだ。
C-300というネーミングは1957年の300Cに引き継がれたが、そちらはまったく新しい「フォワード・ルック」デザインを採用している。
シボレー・コルベット・スティングレイZ06(1963年)
2001年以降、コルベットの「Z06」モデルは数多く登場しているが、1963年に発売されたオリジナルモデルは1年限りのものである。市販車をレース仕様に近づけるために特別開発されたZ06パッケージでは、大容量燃料タンク、強力なブレーキ、大型アンチロールバーと硬いサスペンションを装備している。
パワートレインとして、最高出力360psを発生する327立方インチ(5.4L)V8エンジンのフューエルインジェクション仕様を搭載。当初クーペのみ導入されたが、後にコンバーチブルも追加され、1963年に合計199台のZO6が生産された。
フォード・フェアレーン・サンダーボルト(1964年)
1964年、ドラッグレースは米国で大きな注目を集めるレースとなっていた。フォードがドラッグレースに参戦するための少量生産のスペシャルカーを作ったことも、その重要性の指標となるだろう。フェアレーン・サンダーボルトはドラッグレースのために生まれたモデルで、1964年にわずか100台が生産された。その内訳は4速MT車が49台、AT車が51台。
サンダーボルトには、可能な限り軽量を追求するためにプレーンな2ドア・フェアレーンのボディが採用された。427立方インチ(7.0L)V8を搭載し、フォードは最高出力を控えめに425psと謳った。実際には、標準装備された多数のパフォーマンス・パーツのおかげで600ps近いパワーを発生する。
なお、100台のサンダーボルトはすべて、プロのレーシングドライバーにたったの1ドルで販売された。フォードが同車に開発費以上の宣伝価値を見出したからである。