たった1年で販売終了? 米国の希少車 42選 前編 「大人の事情」で打ち切られたクルマたち

公開 : 2024.05.26 18:05

フォード・トリノ・タラデガ(1969年)

トリノ・タラデガは、1969年初頭にわずか数週間のみ販売された。ダッジ・デイトナに対するフォードの対抗馬であり、NASCARを念頭に置いたホモロゲーション・スペシャルであった。タラデガという車名は同名のスーパースピードウェイにちなんだものである。

生産台数は754台と、レース規定を満たすのに十分な数であった。標準的なトリノに比べて空力的に優れたフロントエンドを備えているほか、ドライバーの着座位置と重心を低くするためにシルの形状も変更されている。

フォード・トリノ・タラデガ(1969年)
フォード・トリノ・タラデガ(1969年)

428立方インチ(7.0L)のコブラジェットV8を搭載するが、レース仕様にはマスタング・ボス429で別途ホモロゲーションされたV8が採用された。

プリムス・バラクーダ440(1969年)

プリムスはバラクーダに可能な限り大きなエンジンを搭載することで、当時最速のマッスルカーの1台を作り上げた。最高出力375psを発生する440立方インチ(7.2L)V8は、パワーステアリングポンプ、ブレーキサーボ、エアコンを搭載するスペースがないほど巨大で、バラクーダ440はいわば妥協の産物でもあった。このため夏場は辛く、また運転のたびに上半身のワークアウトになる……。

バラクーダ440のもう1つの問題はそのデザインで、存在感の薄い地味なものと見なされた。トランスミッションはATが標準だったことも、エンスージアストにとってはデメリットだった。発売1年で、約400台しか生産されなかった。

プリムス・バラクーダ440(1969年)
プリムス・バラクーダ440(1969年)

ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム(1969年)

皮肉なことに、ポンティアック・ファイアーバード・トランザムはレースシリーズから名を取ったにもかかわらず、レースに出るためのホモロゲーションを得ることができなかった。これは排気量が400立方インチ(6.6L)と大きすぎたためである。しかし、ポンティアックとしてはそれほど気にしなかったようだ。最高出力の公称値は335psだが、実際にはそれ以上のパワーを発揮した。

マンシー製4速MTが人気だったが、3速ATも用意されていた。カメオ・ホワイトの塗装にチロル・ブルーのストライプが入るなど、外観上のユニークな特徴もあった。1969年に生産されたのはわずか697台で、そのうちコンバーチブルはわずか8台しかなく、史上最も希少なトランザムの1つとなっている。

ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム(1969年)
ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム(1969年)

AMCレベル・ザ・マシーン(1970年)

1969年のSC/ランブラーの成功に刺激されたAMCは、1年限りのモデル「ザ・マシーン」を夢見た。セールスポイントはこのグルーヴィーな名前だけではなく、最高出力340ps、最大トルク59kg-mの390立方インチ(6.4L)V8により実現される、0-97km/h加速6.4秒、最高速度200km/hというパフォーマンスだった。

AMCは当初1000台のみを生産し、すべてホワイト塗装でボンネットにはエレクトリックブルーのストライプが入っていた。これが完売した後、さまざまなカラーリングとともに追加ロットが生産された。生産台数は合計2326台とされている。

AMCレベル・ザ・マシーン(1970年)
AMCレベル・ザ・マシーン(1970年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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