たった1年で販売終了? 米国の希少車 42選 前編 「大人の事情」で打ち切られたクルマたち

公開 : 2024.05.26 18:05

クライスラー300ハースト(1970年)

ビッグパワー黄金時代のマッスルカーとしてはあまり知られていない1970年型クライスラー300ハーストは、1年の販売でわずか485台しか生産されなかった。ノーマル状態で375psを発生する440立方インチ(7.2リッター)V8など、書類上は素晴らしい要素が揃っていたのだが……。

「ハースト」の名を冠し、ボンネットとサイドの縁取りはゴールドで仕上げられた。一体型のリアスポイラーも装備されている。しかし、不利だったのはその重量で、ほぼ2トン(4400ポンド)に達し、パフォーマンスを鈍らせた。その結果、生産台数は予定されていた2000台のうち、4分の1にも届かなかった。

クライスラー300ハースト(1970年)
クライスラー300ハースト(1970年)

オールズモビル・ラリー350(1970年)

車名とは裏腹に、エンジンは最高出力350psではなく、310psのV8を搭載している。マッスルカーの保険料高騰に対応すべく投入されたモデルで、0-97km/h加速7.0秒、1/4マイル15.27秒という控えめな性能となっている。

これでは一部のエンスージアストには通用しないため、他の面で目立たせる必要があった。そこでオールズモビルは、ボディだけでなくバンパーにも鮮烈なセブリングイエローのペイントを施した。

オールズモビル・ラリー350(1970年)
オールズモビル・ラリー350(1970年)

現在ではカラードバンパーが主流だが、1970年当時は人気がなく、多くのディーラーがラリー350の純正仕様のイエローバンパーを下位グレードのクロームメッキ品と交換した。それでも販売は厳しく、わずか3547台しか生産されず、買い手が見つからないまま1971年に入ってもディーラーには大量の在庫が残っていた。

オールズモビルW31(1970年)

オールズモビル・ラリー350の兄弟車であるW31は、1970年当時、もっと希少で無名のモデルであった。比較的小型のエンジンを搭載しているが、それでも350立方インチ(5.7L)V8エンジンの力強さは健在だった。最高出力325psを発生し、ハースト・コンペティション・シフター付きの3速MTで0-97km/h加速6.1秒を記録したが、最高速度は185km/hと控えめだった。

オプションとして4速MTが設定され、リアディファレンシャルのレシオも変更できた。改良型サスペンションが標準装備されたが、1年間の販売台数はわずか116台だった。

オールズモビルW31(1970年)
オールズモビルW31(1970年)

プリムスAARクーダ(1970年)

単年生産された多くのクルマと同様、プリムスAARクーダはレース用のホモロゲーションモデルとして誕生した。スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカのトランザム・シリーズに出場するために作られ、2724台すべて5週間で完成した。

「AAR」の名はダン・ガーニー氏創設のチーム、オール・アメリカン・レーシング(All American Racing)に由来し、ガーニー氏もトランザム・シリーズにクーダで参戦した。このクルマの特徴は、ダックテールのリアスポイラー、リアホイールのすぐ前から出るサイドマフラー、一体成形スクープ付きのグラスファイバー製ボンネットなど。

プリムスAARクーダ(1970年)
プリムスAARクーダ(1970年)

340立方インチ(5.6L)V8により、0-97km/h加速を5.8秒、1/4マイルを14.4秒で走破する。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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