たった1年で販売終了? 米国の希少車 42選 後編 「大人の事情」で打ち切られたクルマたち

公開 : 2024.05.26 18:25

フォードRS200(1984年)

フォードRS200は、世界ラリー選手権(WRC)のステージ以外では稀有な存在であり、米国では1984年のわずか1年間しか販売されなかった。グループBラリーのレギュレーションを満たすために作られた特注車として、四輪駆動、ミドエンジンのハンドリングバランス、ベーシックグレードで250psのパワーを備えている。公道で使うにはあまりにも驚異的なクルマだ。

車重わずか2596ポンド(1180kg)で、0-97km/h加速は5.0秒。モータースポーツ仕様は350psから500psを発生し、猛烈な加速を見せたが、ベーシックグレードでさえ公道を走るどのクルマよりも速かった。200台生産されたうち、24台は後にルーフに冷却用インテークを備えたエボ(Evo)仕様にアップグレードされている。

フォードRS200(1984年)
フォードRS200(1984年)

日産アクセス(1990年)

日産はフォードと組み、1990年代を見据えたモダンで広いミニバンを開発していたが、プロジェクトが完了する前にいち早く日本から2代目プレーリーを持ち込み、アクセス(Axxess)という名で発売した。ライバルのクライスラーから市場シェアを奪おうとしたが、この計画は失敗に終わった。

アクセスは米国人にとって小さすぎ、ファミリーカーを求める消費者の嗜好には合わなかったのだ。米国では1990年のモデルイヤーのみ販売され、1992年にはフォードと共同開発した新型クエストが登場し、席を譲っている。現在、アクセスは米国の路上から姿を消してしまっているようだ。

日産アクセス(1990年)
日産アクセス(1990年)

ロータス・カールトン(1991年)

ロータス・カールトンは、英国ではヴォグゾール、その他の地域ではオペルから販売された。販売期間は欧州で1990年から1992年、米国では1991年の1年間だけで、正式に販売されたわけではない。そのため、米国ではアウトロー的な存在となり、発売当時は世界最速の4ドア・セダンと謳われたことでさらに評判を高めた

カールトンの開発を主導したのはロータスで、最高出力377psを発生する特注のツインターボ3.6L直6エンジンを搭載。6速MTと組み合わされ、0-97km/h加速5.2秒、最高速度285km/hを誇る。最終的に950台が生産された。

ロータス・カールトン(1991年)
ロータス・カールトン(1991年)

フォード・マスタング・コブラR(1993年)

フォードは3世代にわたってマスタング・コブラRを生産したが、いずれも生産期間は1年だった。その中でも最も希少なのは1993年モデルで、生産台数はわずか107台と、1995年モデル(250台)や2000年モデル(300台)と比べても少ない。

コブラRの販売ターゲットは、レーシング・ライセンスを持つ顧客かモータースポーツチームのみであったため、希少性が高まるのも無理はない。車名の「R」はレースを意味する。

フォード・マスタング・コブラR(1993年)
フォード・マスタング・コブラR(1993年)

3世代のコブラRはマスタングSVTをベースとしており、V8エンジンのパワーを向上し、2000年モデルでは最高出力385ps、最高速度285km/hを達成する。全車クーペボディで、エンジンのパワーアップに合わせてサスペンション、ブレーキ、ドライブトレインが改良されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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