ロールス・ロイス傘下の「ダービー」世代 ベントレー 4 1/4リッター・ヴァンデンプラ(1) 端正なコーチビルド

公開 : 2024.06.15 17:45

ベントレーと結びつきの深いヴァンデンプラ

1938年10月には、新しいトランスミッションが登場。ロングレシオのオーバードライブ・トップギアが組まれ、欧州大陸を駆け回る人への訴求力を高めた。ドイツではアウトバーンが、イタリアではアウトストラーダの整備が進められた時代だ。

ヒットラーとムッソリーニが、平和を脅かし始めていた。それでも、高速道路を平穏に巡航できる能力の恩恵に、富裕層は浸ることができた。

ベントレー 4 1/4リッター・ヴァンデンプラ(1936〜1939年/英国仕様)
ベントレー 4 1/4リッター・ヴァンデンプラ(1936〜1939年/英国仕様)

コーチビルダーの中で、ダービー・ベントレーとの結びつきの深い名門が、ヴァンデンプラ社。3 1/2リッターや4 1/4リッターのシャシーへ、多くのボディを与えている。だが、パワーアップしステアリングが改善された後期型には、2台しか提供していない。

ベントレーから承認を受けた、デザイン番号は1581。スタイリッシュなドロップヘッドクーペで、第二次大戦前では最後となった、1938年のロンドン・モーターショーに1台目が出展されている。

スーツケースやゴルフクラブを想定した、大きな荷室を確保。運転しやすく、最大限の快適性を与える、2ドアのカブリオレとして発表された。

ウインドウフレームはクロームメッキされ、オープン時に風の巻き込みを低減する機構も装備。ヴァンデンプラ自慢のソフトトップは、後方へきれいに折りたたまれ、ボディへ半分隠れることで美しいシルエットを生み出した。

クローズ時は、テールと滑らかにラインが繋がった。内側には豪華な裏地が張られ、ハードトップへ近い雰囲気を生み出したという。

姉妹的な関係にある2台のドロップヘッドクーペ

ドアには、ウインカーの前身となるセマフォーを内蔵。電動ブラインドがリアウインドウに備わり、ドロップヘッドクーペとしては珍しい装備といえた。サイド後方のクォーターガラスが開く、初の英国車だったとも考えられている。

製造を依頼したのは、ベントレーとロールス・ロイスアストン マーティンのディーラーをロンドンで営んでいたジャック・オールディング氏。ちなみに彼は、後年にキャタピラー社の土木機械の輸入もしている。

シャシー番号はB42MRで、FLM 21のナンバープレートで登録。ミス・フィリモア氏へ納車されている。

もう1台も、姉妹的な関係といえる、ほぼ同じドロップヘッドクーペ。お披露目されたのは、開戦直前だった1939年のスイス・ジュネーブと、ベルギー・ブリュッセルのモーターショー。シャシー番号はB76MRだった。

展示後、ダービー・ベントレーはCUK 99のナンバープレートを取得。最初のオーナー、グレートブリテン島中部のバーミンガムに住む、フランク・ハワード・ヴォーン氏の元へ1939年6月11日に届けられている。

ボディは、チェスナット・ブラウンの塗装にハニー・ゴールドのストライプで装飾。ダンロピロー社製のシートは、ニジェールグレインのコノリー・レザーで仕立てられた。

オーナーのハワード・ヴォーンは、1960年に命を落とすまで、ダービー・ベントレーを大切に維持した。その時点で20年落ちを過ぎていたが、高性能なことに変わりはなく、1000ポンドで売却されたと考えられている。

この続きは、ベントレー 4 1/4リッター・ヴァンデンプラ(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ベントレー 4 1/4リッター・ヴァンデンプラの前後関係

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