バイクとクルマを融合? 3輪のモーガン・スーパースポーツ モアパワーへ応えたプラス4 2気筒から8気筒まで(1)

公開 : 2024.06.22 17:45

1世紀以上の歴史を持つモーガン 熱烈なファンを生んだV2エンジンのスーパースポーツ プラス4のシャシーにV8エンジンを押し込んだプラス8 英国編集部が歴代の4台をご紹介

熱烈なファンを醸成したスーパースポーツ

直近の5年で、モーガン・モーター社のラインナップは、過去最大といえる技術的な進歩を遂げた。スタイリングは、ノスタルジー感満点だとしても。

最新のプラスフォーとプラスシックスは、1936年以降の殆どのモーガンで基礎骨格になってきた、スチール製プラットフォームとお別れ。新設計のアルミニウム製へ変更されている。サスペンションは、前後ともダブルウィッシュボーン式を得た。

手前から、レッドのモーガン・ロードスターと、ブラックのスーパースポーツ、ダークグリーンのプラス4、ネイビー・ブルーのプラス8
手前から、レッドのモーガン・ロードスターと、ブラックのスーパースポーツ、ダークグリーンのプラス4、ネイビー・ブルーのプラス8

V型2気筒エンジンを前端へむき出しに積む、3輪のスリーホイラーは、排気ガス規制の強化に合わせて終了。直列3気筒をボンネット内に搭載した、スーパー3へ代替わりしている。

一見、クラシカルなモデルへ固執してきたように見える同社だが、以前から新しい技術や精神は取り入れられてきた。控えめだとしても。今回揃えた4台は、20世紀のモーガンを代表するモデルといえるが、その事実を物語っている。

1番古く小さいモデルが、スーパー3の祖先といえる、1935年に発売されたモーガン・スーパースポーツ。創業者のヘンリー・フレデリック・スタンレー・モーガン氏が1910年に生み出した、最初のスポーツカーの設計思想が受け継がれている。

かつての英国では、3本のタイヤで走るクルマに課せられた道路税は、4本のクルマの約半額だった。1937年までに、スポーツ、スーパースポーツ、Fタイプへと進化を重ね、熱烈なモーガン・ファンを醸成していった。

最高速度は117km/h 戦前としては驚くほどの性能

ご登場願ったスーパースポーツのオーナーは、トニー・テビー氏。1970年に自身のコレクションの一部として購入し、20年越しの丁寧なレストアで、素晴らしい状態へ仕上げたそうだ。

特徴となるのが、アイボリーとブラックのツートーンで塗装された、ダブルDと呼ばれる2シーターボディ。ドライバーが右腕を火傷しないよう、側面に固定されたエグゾーストパイプは、僅かに位置が落とされている。

モーガン・スーパースポーツ(1933〜1939年/英国仕様)
モーガン・スーパースポーツ(1933〜1939年/英国仕様)

メカニズムは、スーパースポーツの発売までに充分な実証を経ていた。シャシーはパイプを組んだチューブラーフレームで、スライディングピラー式のフロント・サスペンションはヘリカルスプリングが、リアは2枚のリーフスプリングが支える。

後輪の直前にマウントされた、トランスミッションは3速。ローラーチェーンを介し、リアハブを駆動する。

1933年にJAP社製からマッチレス社製へ変更されたが、エンジンは専用生産のV型2気筒。空冷の他に、トニーの例のように水冷式も存在し、MX2かMX4と呼ばれた。バンク角50度で、排気量は990cc。最高出力は42ps/4800rpmがうたわれた。

マウント位置はフロントアクスルより前方だが、コンパクトなおかげで、フロントタイヤの前端の方が飛び出ている。筆者がイメージする、この時代らしい3輪モーガンそのままの姿にある。

1939年の他誌のテストでは、117km/hの最高速度を記録している。シンプルなパッケージングで、136ポンドという安価な設定を考えると、戦前としては驚くような性能だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

モーガン 2気筒から8気筒までの前後関係

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