Cタイプが買えないなら作ればイイ! ベースはジャガーXK120 純白のハンスゲン・スペシャル(1)

公開 : 2024.06.23 17:45

ロードスター・レーサーの自作を決意

彼の父、フレッド・ハンスゲン氏は、20世紀初頭にFKハンスゲン社を創業。馬車の修理で事業を始め、普及とともに自動車へシフト。規模は徐々に拡大し、クルマ好きの若者にとって魅力的な職場になっていた。

そこでウォルトが決意したのが、ロードスター・レーサーの自作。父親の会社には、金属加工に長けた技術者、エミール・ホフマン氏が在籍していた。必要な材料や加工機械も豊富に揃っていた。とはいえ、完成までに14か月を要している。

ハンスゲン・スペシャル(1953年)
ハンスゲン・スペシャル(1953年)

準備が始まったのは1952年初頭。シルバーのXK120を分解し、部品として流用することになった。3.4L直列6気筒エンジンは高圧縮比化。ハイカムも組み、最高出力を上昇させた。トランスミッションとフロント・サスペンションも、有効に活用された。

リア・サスペンションは、コイルスプリングとラジアスロッドで再設計。これは、Cタイプの構成に近いものだった。ジャガー以外のコンポーネントといえたのが、MG TDから流用したステアリングラックと、ボラーニ社製のワイヤーホイールだ。

クロモリ鋼パイプを組んだフレームに、アルミ製パネルを張ったボディはオリジナル。スタイリングは、Cタイプから強い影響を受けたことは明らかだ。

フロントグリル内に配置されたヘッドライトは、友人が所有していたヒーレー・シルバーストーンというレーサーから、アイデアをもらったという。ウォルト自身が、後年に認めている。

デビュー戦で優勝したハンスゲン・スペシャル

ドライバーの後方には、長距離レース用の50ガロン燃料タンクを搭載。少し高めのボディラインを得ている。リアのスペアタイヤが、ボディへ半分隠れるように載っているのも、特徴だろう。

マフラーはサイドシルを経由し、リアタイヤの直前で口を開く。きれいにカーブを描くアルミ製パネルには、ルーバーが切られている。

ハンスゲン・スペシャル(1953年)
ハンスゲン・スペシャル(1953年)

コクピットの前方には、スピードボートから流用された、小さなフロントガラスが組まれた。ただし、これはサーキットへの往復用。レース本番は、さらに小さなエアロスクリーンへ交換された。ダッシュボードに並ぶメーター類も、XK120譲りだった。

車重は約950kgで、XK120より約270kgも軽く仕上がった。ホワイトに塗られたアルミ製ボディが美しいかどうかの判断は、読者にお任せしよう。

特性ロードスター・レーサーの製作を進める傍らで、ウォルトの友人はレース用のジャガーを喜んで貸してくれた。1952年のアメリカ・セブリング国際サーキットでは、トップクラスのドライバーとしのぎを削るなど、運転技術は磨かれていった。

1953年にハンスゲン・スペシャルは完成。自動車雑誌のロード&トラック誌の記事によると、製作コストは5860ドルだったという。

オリジナルマシンのデビュー戦になったのは、同年5月にアメリカ東部のメリーランド州で開かれたレース。ライバルのミスも手伝い、32周の激しい戦いをウォルトは見事に制したのだった。

この続きは、純白のハンスゲン・スペシャル(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

純白のハンスゲン・スペシャルの前後関係

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