クルマ好き必見、スウェーデン観光スポット「ワールド・オブ・ボルボ」 北欧随一の自動車博物館

公開 : 2024.06.08 18:05

ボルボPV36「カリオカ」(1935~1938年)

1930年代まで、ボルボはまだ採算の取れる自動車の作り方を見つけていなかったが、クルマの見栄えを良くすることはできた。PV36は効率性を高める取り組みとして、当時としては急進的な流線型ボディを特徴としている。残念ながら、販売台数はわずか500台。ちなみにカリオカ(Carioca)というニックネームは、リオデジャネイロの住民のニックネームと同じ。なぜスウェーデンの乗用車に付けられたのかはまだ不明だ。

ボルボPV36「カリオカ」(1935~1938年)
ボルボPV36「カリオカ」(1935~1938年)

ボルボL248(1939~1954年)

ラウンドノーズ(Roundnose)の名で知られるL248は、米、英、ドイツのトラックからインスピレーションを得たもので、乗用車と大きく異なるボルボ初の本格商用車であった。最高出力99psのディーゼルエンジンを搭載し、大ヒット商品となった。

ボルボ・ホワイトバス(1945年)

現在、ホワイトバスは特別展示コーナーに置かれており、展示車両の中でも特に注目したい1台だ。第二次世界大戦末期、スウェーデン赤十字は敵国の強制収容所に車両隊を派遣し、捕虜を救出してスウェーデンに連れ帰った。このホワイトバスを含む75台の車両が何百回も往復し、1万5000人以上の捕虜を救った。

ボルボ・ホワイトバス(1945年)
ボルボ・ホワイトバス(1945年)

ボルボ・ペンタ・アクアマチック(1959年~現在)

ボルボ・グループは陸上車両だけでなく、1959年にはボート用エンジンのペンタ・アクアマティックを発表している。船外機の駆動装置と船内機の燃費効率を組み合わせた先駆的な設計で、メカニカルな部分は船内にあるが、プロペラは船外に設置されている。ボートの歴史にとって非常に重要なマシンである。

ボルボ・ペンタ・アクアマチック(1959年~現在)
ボルボ・ペンタ・アクアマチック(1959年~現在)

ボルボPV445デュエット(1953~1960年)

ボルボの乗用車部門の命運は、PV444で一変した。第二次世界大戦末期、より小型で安価な、燃費の良い乗用車として開発された。黒字を出したボルボ初の乗用車であり、そのシャシーはさまざまなモデルに転用されることになる。最も重要なモデルはこのPV445デュエットで、ボルボ初のステーションワゴンである。

ボルボPV445デュエット(1953~1960年)
ボルボPV445デュエット(1953~1960年)

ボルボP1800 S(1961年~1972年)

ボルボの名を国際的に広めるために開発されたスポーツカーP1800 Sは、後に芝刈り機やゴルフクラブのデザインを手がけた学生ペレ・ペターソン氏がデザインを担当した。展示車両は1966年に米国人教師アーヴ・ゴードン氏が購入したもので、300万マイル(480万km)以上を走行して2013年に世界記録を樹立した。

ボルボP1800 S(1961年~1972年)
ボルボP1800 S(1961年~1972年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームス・アトウッド

    James Attwood

    役職:雑誌副編集長
    英国で毎週発行される印刷版の副編集長。自動車業界およびモータースポーツのジャーナリストとして20年以上の経験を持つ。2024年9月より現職に就き、業界の大物たちへのインタビューを定期的に行う一方、AUTOCARの特集記事や新セクションの指揮を執っている。特にモータースポーツに造詣が深く、クラブラリーからトップレベルの国際イベントまで、ありとあらゆるレースをカバーする。これまで運転した中で最高のクルマは、人生初の愛車でもあるプジョー206 1.4 GL。最近ではポルシェ・タイカンが印象に残った。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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