伝説の「6輪F1マシン」を生んだ小屋 70年前のティレル工場が移転保存 英国

公開 : 2024.06.15 18:05

6輪車「P34」など伝説的なF1マシンを生んだケン・ティレル氏がかつて拠点としていた “小屋” は、70年の時を経て解体・移転された。オリジナルの部材を多く残しつつ、後世に歴史を伝える。

取り壊しの危機を逃れて

自分の小屋でF1マシンを作る。とてもロマンチックな夢だが、多くの人にとっては白昼夢のようなものだ。しかし、故ケン・ティレル氏にとっては単なる気まぐれなアイデアではなかった。

偉大なF1チームのパトロンの1人であるティレル氏は、英サリー州オッカムにある家族経営の材木置き場でレーシングマシンを製作した。彼のささやかなイノベーション拠点は、いわばモータースポーツ界で最も有名な小屋であるが、少し前まで取り壊しの危機に瀕していた。

ウェスト・サセックス州グッドウッドへ移転されたティレルの「小屋」
ウェスト・サセックス州グッドウッドへ移転されたティレルの「小屋」

喜ばしいことに、小屋はティレル・レーシング・オーガニゼーション(Tyrrell Racing Organization)の歴史の多くが綴られたウェスト・サセックス州のグッドウッド・モーター・サーキットに移転され、大切に保存されている。

ジャッキー・スチュワート氏がティレルのクーパー・フォーミュラ・ジュニアのマシンを初めてテストしたのもこの場所である。その速さは驚異的で、わずか5年の間に3度のワールドチャンピオンを獲得したのだ。

予想通り、この小屋は4月に開催された第81回グッドウッド・メンバーズ・ミーティングの来場者に大人気だった。

「英国モータースポーツの偉大な物語の1つ」と語るのは、小屋の移転を監督したグッドウッド・モーター・サーキットの総支配人、サム・メドクラフト氏だ。「この場所は戦時中、宿泊小屋があったんです」

不思議な縁である。ティレル氏は1960年代に入り、レーシングドライバーからチームオーナーへの転身を図った際に王立婦人陸軍から建物を調達し、設立間もないチームのワークショップとして使用したのだ。

6輪車「P34」を生んだ小屋

小屋のサイズは6m x 21mで、一度解体されてオッカムに運ばれ、建て直された。

「小屋の状態は、長い間ここにあったことを考えればそれほど悪くはありませんでした。モジュール式で作られた、かなり頑丈な構造で、移動がしやすく耐久性も高い」とメドクラフト氏は言う。

現在もオリジナルの部材を多く残し、歴史を伝えている。
現在もオリジナルの部材を多く残し、歴史を伝えている。

この小屋には歴史がある。1970年、チーフ・デザイナーのデレク・ガードナー氏が少人数のメカニックチームと密かに初代ティレル001を製作したのが、この場所だった。ティレル氏の運営するマトラでスチュワート氏が初の世界タイトルを獲得したことをきっかけに、チームはコンストラクターとして重要な一歩を踏み出した。

そして、1976年のスウェーデンGPでジョディ・シェクター氏の優勝に貢献した6輪車「P34」は世界中に衝撃を与えた。

この小屋は1980年代まで製作工場として、そして倉庫として使われていた。1988年、空力エンジニアのジャン=クロード・ミジョー氏がここを訪れたとき、すぐにこの小屋を探し当てたという。「そこにはあの有名な『立ち入り禁止。お前のことだ!(Keep out. This means you!)』という看板がまだ貼られたままでした」

1997年末、ティレル氏はチームとF1参戦権をブリティッシュ・アメリカン・レーシングに売却した。これが後のホンダ、ブラウンGP、メルセデスAMGへと繋がっていく。

元の小屋は新しいオーナーが倉庫として使い続けていたが、やがて近隣が住宅地として再開発されることになり、今回の移転作業へ至った。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事