乗るなら目立つブラックキャブ! 石油王が好んだ特注オースチン・タクシー(1) ベースは定番のFX4

公開 : 2024.06.30 17:45

プレイボーイのトレードマークに

ヌバールのタクシーはロンドンで注目を集め、都心部では最も知られたクルマの1台だった。プレイボーイの億万長者は、片眼鏡とシルクハット、蘭の花のコサージュがトレードマークだったが、専用ボディのオースチンも同様だった。

アルメニアの国籍も持ち、イラン大使館の武官でもあり、ロンドンの北西に位置するバッキンガムシャーや南フランスに邸宅を所有。特別なタクシーは悪評も生んだが、むしろそれを楽しんでいたという。

オースチンFX4 FLMパネルクラフト・ヌバール・タクシー(1960年)
オースチンFX4 FLMパネルクラフト・ヌバール・タクシー(1960年)

カスタムされたロールス・ロイスメルセデス・ベンツ600も所有していた。それでも、ホテル・リッツ・ロンドンからの出発や、招かれたイベントへの移動手段として好んで使った。

「多くの人々が、オースチンのことを知っています。パーティやオープニング・セレモニーが終わると、どこに停まっているのか、教えてくれるんですよ」。とヌバールは後に話している。

とはいえ大富豪らしく、大きくて速い高級車が好きだった。メルセデス・ベンツSSで、英国のブルックランズ・サーキットを160km/h以上で走った経験があることもわかっている。65歳まで自ら運転しなかったという情報は、恐らく間違いだろう。

第二次大戦前には、速いスポーツカーを何台も所有していた。戦後にはロールス・ロイスへ好みは変化するが、ラグジュアリーなリアシートから運転手を急かしただけでなく、自らステアリングホイールを握ることも多かったらしい。

スピリット・オブ・エクスタシーのマスコット

1940年後半には、運転手が駆るビュイック・スーパーで、ジャガーSS100と速さを競ったという記録もある。ポルトガル西部のエストリルからシントラまで、ヌバールはリアシート側にも追加されたスピードメーターを見つめ、走りへ注文をつけたとか。

このスーパーは、ルーフがガラス張りに変更され、ダッシュボードはレザー張り。リアシートはベッドになるよう改造されていた。2枚目のスピードメーターは、彼のお気に入りだった。

オースチンFX4 FLMパネルクラフト・ヌバール・タクシー(1960年)
オースチンFX4 FLMパネルクラフト・ヌバール・タクシー(1960年)

特注ボディのオースチンは、3台が製造されたことは間違いないようだ。1957年11月のAUTOCARでは、ジャック・バークレー社を通じて、ヌバールが特別なタクシーを注文したニュースを報じている。

その数か月後に、前席側へルーフがないスクエアなブロアムボディがデザインされ、グリーンのクロスでインテリアが仕立てられることが判明。フロント側のルーフは折りたたみ式で、スピリット・オブ・エクスタシーのマスコットが載ることも決まっていた。

オースチンFX4は、1958年に発表されている。当初は、その前身のFX3がベースに選ばれていたはず。ロールス・ロイスのラジエーターを載せる希望は、却下されたという。

ヌバールのクルマには、イニシャルの「NG」で始まるナンバーが与えられることが多かった。タクシーの1台にも、1960年代半ばにNG 1が振られている。

今回ご登場願ったタクシーは、1960年に製造されたもので、2台目に当たると考えられている。ただし、納車されたのは1966年。3500ポンドのコストが掛かったようだ。

この続きは、石油王が好んだ特注オースチン・タクシー(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

石油王が好んだ特注オースチン・タクシーの前後関係

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