【今さら聞けない】フィアットの屋台骨「パンダ」 45年の歴史をおさらい、4代目はどんな「ファミリー」に?

公開 : 2024.06.20 17:45

・4代目「グランデ・パンダ」が登場
・始祖は1980年3月に発表された「パンダ30」
・長年にわたりフィアットの屋台骨を担う

今も語り継がれる初代

フィアットを、ひいてはイタリアを代表するスモールカー「パンダ」。つい先日、第4世代が発表されたばかりのパンダの歴史を紐解いていこう。

初代パンダは、1980年3月のジュネーブ・モーターショーで発表された。

今も語り継がれる初代
今も語り継がれる初代    AUTOCAR

当時のフィアットに存在していた小型車たちと大きく異なる点は、デザインを外注したことにある。デザインを引き受けたのは、言わずとしれたイタルデザイン社。

1968年に技術者のアルド・マントヴァーニとともに同社を設立したデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロは、デザイン評価を行うモックアップ・モデルを、たった3か月で仕上げた。

このデザインは見た目だけではなくエンジニアからの評価も高く、さらにコストダウンにも貢献した。わずかにグラスエリアを数cm大きくする変更のみで、プロトタイプから量産モデルへ展開されたのだった。

パンダは、1981年のカー・オブ・ザ・イヤーで次点につけたほか、複数の自動車賞も受賞。ジウジアーロは、優れた工業デザインに与えられるイタリアのコンパッソ・ドーロ賞を獲得した。

1980年、パンダは126から流用した652ccの空冷直列2気筒エンジンを積む30と、127譲りの903ccの直列4気筒エンジンが搭載された45という2種類のパワートレインでスタートした。

1982年10月には5速MTに5本バーのグリルで印象を変えた45スーパーが登場。続く1983年には4×4が追加。1986年には、革新的なファイア・エンジンが搭載された。

1990年のフェイスリフトでは、セレクタと呼ばれたCVTも追加され、日本市場でもよく売れていた。初代パンダの豊富なバリエーションには、ディーゼルエンジンや、キャブレター代えてインジェクションを用いた1108ccの直列4気筒エンジンも含まれる。

絶え間ないアップデートと、巧妙なマーケティングが功を奏した初代パンダ。1980年から2003年9月5日に至るまで、延べ449万1000台もの台数が生産されたという。

2代目ではホットモデルも登場

揺るがない人気を誇った初代は、先述の通り2003年に惜しまれながらも生産を終了した。続いて登場した2代目は、テクノロジーやデザイン、操縦性で大きな飛躍を遂げていた。

2代目は、初代にも増して豊かなバリエーションが揃えられていた。「100HP」の名を掲げたホットハッチ仕様もあれば、オフロード向きの4×4も。日本国内には導入されていないが、ベーシックなトリムレベルでは1.1Lエンジンが搭載されていた。

2代目ではホットモデルも登場
2代目ではホットモデルも登場    AUTOCAR

AUTOCARの読者であれば、最もホットな100HPに注目するところだろう。このヤンチャなパンダは、各部がブラックアウトされ低く抑えられた車高や15インチのアロイ・ホイールと相まって、想像以上に速く感じられる。

それでいて、通常時に200L、リアシートを倒せば861Lまで拡大できる荷室を備え、利便性も十分。

パンダ100HPの日本国内での個体数はそう多くないが、状態のよいものに巡り会えたら、思わず手を出してしまいそうな、そんな魅力と実用性を兼ね備えた1台だ。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 編集

    香野早汰

    Hayata Kono

    1997年東京生まれ。母が仕事の往復で運転するクルマの助手席で幼少期のほとんどを過ごす。クルマ選びの決め手は速さや音よりも造形と乗り心地。それゆえ同世代の理解者に恵まれないのが悩み。2023年、クルマにまつわる仕事を探すも見つからず。思いもしない偶然が重なりAUTOCAR編集部に出会う。翌日に笹本編集長の面接。「明日から来なさい」「え!」。若さと積極性を武器に、日々勉強中。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事