欧製ステーションワゴンの出発点 モーリス・オックスフォード・トラベラー ボルクヴァルト・イザベラ・コンビ(1)

公開 : 2024.07.07 17:45

1950年代に成長を遂げたステーションワゴン市場 支持拡大へ貢献したイザベラ・コンビとオックスフォード・トラベラー 好対照な見た目 完成度の高い走り 英編集部が70年前の2台を振り返る

新しいファミリーカー像を市民へ提案

AUTOCARの読者なら、欧州製ステーションワゴンの支持者は少なくないだろう。1950年代に急成長を遂げたこのカテゴリーだが、その時代の対象的な2台が、ボルクヴァルト・イザベラ・コンビとモーリス・オックスフォード・トラベラーだ。

前者は、ドイツの小さな自動車メーカーが生み出した前衛的なモデル。ご当地の老舗ブランドへ対峙し、悪くない成果を残した。後者は、より歴史の長いメーカーが生み出した保守的なモデル。アメリカンなスタイリングが、強い印象を残すはず。

アイボリーのボルクヴァルト・イザベラ・コンビと、ツートーンのモーリス・オックスフォード・トラベラー・シリーズIV
アイボリーのボルクヴァルト・イザベラ・コンビと、ツートーンのモーリス・オックスフォード・トラベラー・シリーズIV

どちらもサルーンのルーフラインを延長。背もたれが倒れるリアシートへ置き換え、大きなテールゲートを背負った。走行性能は維持しながら、実用性を大幅に向上させ、新しいファミリーカー像を市民へ提案した。

しかし英国では、ステーションワゴンを受け入れる土壌が充分に整っていなかった。加えて、ボルクヴァルトというメーカーは殆ど知られておらず、イザベラ・コンビはオックスフォード・トラベラー以上の苦戦を強いられた。

1950年代後半には、レーシングドライバーのビル・ブライデンシュタイン氏がサルーンのイザベラでレースへ参戦。認知度を高めることに、ひと役買ってはいるが。

フォードやヴォグゾール(英国オペル)もステーションワゴンを提供していたものの、コーチビルダーへ生産が託され、コンバージョン・モデルという扱いに近かった。だが、イザベラ・コンビは工場で正規に生産され、先駆けといえる存在だった。

製造品質や技術力の高かったボルグヴァルト

ドイツ北部のブレーメンに本社を置く同社の製造品質は高く、技術力も確立されていた。創業者のカール・ボルグヴァルト氏は、第二次大戦前に自動車の生産を開始。簡素な乗用車や小型トラックの提供で、事業を拡大していった。

ボルグヴァルトのサルーン、2000の発売は1939年。開戦に伴い生産は停止するものの、1948年に再開される。また同社は、政府の支援策を巧妙に利用。ロイドとゴリアテという2ブランドを立ち上げ、制限された原材料の割り当てを3倍に増やした。

ボルクヴァルト・イザベラ・コンビ(1954〜1961年/英国仕様)
ボルクヴァルト・イザベラ・コンビ(1954〜1961年/英国仕様)

この厚遇を利用し、1949年にファミリーカーのハンザ1500と1800をリリース。その改良版が、1954年に発売されたイザベラだった。

ちなみにモデル名は、カールの思いつきで決まったようだ。プロトタイプの命名を頼まれたカールは、「何でも構いません。イザベラでもいいかも」。と答えたとか。

モデル名への軽い気持ちに反して、技術や設計に対する彼の関心は深かった。サルーンから提供が始まり、1955年にステーションワゴンのコンビが登場。その数年後にはクーペが追加され、パワフルにチューニングされたSTグレードも加わった。

エンジンは、共通して直列4気筒の1493cc。最高出力は、当時の平均的な水準といえる60psを発揮した。

ボア・ストロークは75x84.5mmの比率で、ロッカーボックス内を経由する、短い吸気マニフォールドを備えたことが特徴。プッシュロッドのオーバーヘッドバルブだったが、見た目はオーバーヘッドバルブに似ていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ボルクヴァルト・イザベラ・コンビ モーリス・オックスフォード・トラベラーの前後関係

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