1980年代の「ミニ・クーパー」 シトロエン・ビザ・トロフィー(2) クサラ WRCやC4 WRCの祖先

公開 : 2024.07.13 17:46

命がけといえた、世界ラリー選手権のグループB時代に誕生したビザ・トロフィー 1219cc 4気筒から104psを発揮 徹底的な軽量化で695kg ラリーでの活躍を切り拓いた1台を英編集部がご紹介

20台作られたグループB エボリューション

1982年のワンメイクレース、トロフィー・インターナショナル・ビザは、59戦が用意されたラリーイベントだけでなく、サーキット・イベントも設定。開催地にはスコットランドやマン島などが含まれ、ヒルクライム・レースも開かれた。

スポンサーに名を連ねたのは、トタルやミシュラン、ヴァレオ、マーシャルといった大手。欧州では注目を集め、内容も成功といえ、賞金総額は13万ポンド相当に膨らんだ。

シトロエン・ビザ・トロフィー(1982年/欧州仕様)
シトロエン・ビザ・トロフィー(1982年/欧州仕様)

インターナショナル・ビザへ参戦しなくても、シトロエン・ビザ・トロフィーの購入は可能だった。シトロエンUKが支援したジョン・ウェザーリー氏は、1892年のペース・ペトロリアム/オートスポーツ・ナショナル・ラリーへ出場。クラス優勝している。

またシトロエンは、1つ上のグループBクラス用としてクロノエディションを準備。ボディは僅かに差別化され、ツイン・ソレックスキャブレターが1360ccへ拡大されたエンジンに載った。市販仕様はフランスを中心に3600台が売れ、公道を賑わせている。

ワークスチームも、若者に対するイメージ向上を目的として意欲的に活動。同じPSAグループのプジョーは205 T16を開発するが、シトロエンはビザ・トロフィーでワークス態勢を整えた。

コンペティション部門は、1300cc未満が該当するグループB 9クラス用のエボリューションを20台製作。シトロエン・チームは12台を管理した。残る8台は、1982年のフランスで好成績を残した、プライベート・ラリーチームへ販売された。

時にはパワフルなライバルを打ち負かすことも

ブループBの規定に則り、市販用のレプリカも200台作られた。それらもラリーイベントなどで活躍し、時にはパワフルなライバルを打ち負かすことも。1984年の英国RACラリーでは、総合12位とクラス優勝をマーク・ラヴェル氏が遂げている。

シトロエンは、1982年に新しいBXを発売。グループBマシンとして、1985年にはBX 4TCが開発されるものの、ビザ・トロフィーは並行して広く支持を集めた。

シトロエン・ビザ・トロフィー(1982年/欧州仕様)
シトロエン・ビザ・トロフィー(1982年/欧州仕様)

ちなみに1981年以降は、過激なビザも作られている。その1つが、2.0L 4気筒のルノー・エンジンを搭載した後輪駆動。1.4Lエンジンにスーパーチャージャーを載せ、ミドシップ化した四輪駆動も作られた。

プジョーとルノー、ボルボによって共同開発された、2.5L V6のPRVエンジンを載せたビザも試作。ロータスの2174ccターボエンジンを積んだマシンもあった。

通常のビザ・トロフィーに載ったのは、1219ccの4気筒エンジンだったが充分に活発。ジリジリと暑いポルトガルの景色に、フレンチ・トリコロールカラーが映える。

今回のクルマは1982年に、ルイス・アレグリア氏によるドライブで、アルガルヴェ・ラリーの総合3位を勝ち取っている。これを凌駕したのは、フォード・エスコート RS1800という格上マシン。もう1台のビザ・トロフィーも、4位に食い込んだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

シトロエン・ビザ・トロフィーの前後関係

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