プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍

公開 : 2024.07.06 18:05

BMW、GM、フォード、クライスラーなど欧米の大手自動車メーカーの重役を歴任し、数多くのモデル開発に携わってきたボブ・ルッツ氏。成功作ばかりではない彼のキャリアを振り返る。

複数の大手メーカーの重役を歴任

ロバート・アンソニー・ルッツ氏は自動車産業史における主要人物の1人である。1932年にスイスで生まれ、戦闘機パイロット、掃除機のセールスマンを経て、クライスラーフォード、ゼネラルモーターズ(GM)の「ビッグスリー」全社とBMWの上級役員を歴任した。

今回は、 “ボブ・ルッツ” の愛称で知られる彼のキャリアを振り返り、これまでに携わった数多くのクルマを年代順に紹介する。ミドエンジン車にしたかったという第7世代のシボレーコルベットや、開発に携わりたかったという初代トヨタプリウスについても触れる。

「ボブ・ルッツ」ことロバート・アンソニー・ルッツ氏が携わってきたクルマを振り返る。
「ボブ・ルッツ」ことロバート・アンソニー・ルッツ氏が携わってきたクルマを振り返る。

オペルGT(1968年)

幼少期に米国国籍を取得したルッツ氏だが、自動車業界で最初に重要なポストに就いたのはドイツで、当時GMの主要欧州ブランドだったオペルに勤務していた。彼はこの時代のオペルを「基本的には退屈な人々のために退屈なクルマを作っている」と評している。

実際、オペル・カデットをベースにしたスポーツカー「GT」を作ることに対して、社内の抵抗を受けた。第3世代のシボレー・コルベットにも似たGTの存在意義をアピールするのも大変な仕事だったが、最終的にオペルは説得に応じる。GTは当初スタイリングの練習台だったが、市販車として結実した。

オペルGT(1968年)
オペルGT(1968年)

オペル・レコルト(1972年)

ルッツ氏はレコルトDの外観について自分の手柄だとは言っていないが、デザイナーであるチャック・ジョーダン氏(1927-2010)を多かれ少なかれそそのかし、このようなルックスに仕上げたとされている。

しばしば欧州と米国のデザインの違いについて講義を行うルッツ氏に対し、ジョーダン氏は自身の仕事のやり方に口出しされることをありがたく思わなかったが、いくつかのコメントは受け止めたという。

オペル・レコルト(1972年)
オペル・レコルト(1972年)

ルッツ氏によれば、ジョーダン氏はレコルトで「ジウジアーロを打ち負かす」と決意したそうだ。数年後、その結果について「あのクルマは完璧に近かった。素晴らしい出来栄えだった」と語っている。

BMW 5シリーズ(1972年)

オペル・レコルトが発売される頃には、ルッツ氏はBMWに移籍していた。BMWはGMよりもはるかに高額な報酬を用意したという。時期的に初代5シリーズのデザインに影響を与えることはなかったが、なぜこのモデルからBMWで「数字1桁+シリーズ」のネーミングを採用することになったのか、ルッツ氏はその理由を語っている。

アイデアはセールスマネージャーから提案されたもので、ルッツ氏いわく「(マネージャーは)あまり想像力や創造性に富んだ人ではなかった」が、アイデア自体は従来のネーミング方式よりも大きく改善されるものだと感じたという。以来、BMWはこのネーミングを使用し続けている。

BMW 5シリーズ(1972年)
BMW 5シリーズ(1972年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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