プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍
公開 : 2024.07.06 18:05
BMW、GM、フォード、クライスラーなど欧米の大手自動車メーカーの重役を歴任し、数多くのモデル開発に携わってきたボブ・ルッツ氏。成功作ばかりではない彼のキャリアを振り返る。
もくじ
ー複数の大手メーカーの重役を歴任
ーオペルGT(1968年)
ーオペル・レコルト(1972年)
ーBMW 5シリーズ(1972年)
ーBMW 2002ターボ(1973年)
ーBMW 3シリーズ(1975年)
ーフォード・シエラ(1982年)
ーメルクールXR4Ti(1985年)
ークライスラー TC by マセラティ(1989年)
ークライスラーのミニバン(1991年)
ーダッジ・ヴァイパー(1992年)
ークライスラーLHシリーズ(1993年)
ージープ・グランドチェロキー(1993年)
ーダッジ・ラム(1994年)
ークライスラーPTクルーザー(2001年)
ーシボレーSSR(2003年)
ーGMCエンボイXUV(2004年)
ーポンティアックGTO(2004年)
ーキャデラックBLS(2005年)
ーシボレーHHR(2006年)
ーポンティアック・ソルスティス(2006年)
ーGMCアカディア(2007年)
ーキャデラックCTSスポーツワゴン(2010年)
ーシボレー・ボルト(2011年)
ーシボレー・コルベット(2014年)
ー初代プリウスへの嫉妬
複数の大手メーカーの重役を歴任
ロバート・アンソニー・ルッツ氏は自動車産業史における主要人物の1人である。1932年にスイスで生まれ、戦闘機パイロット、掃除機のセールスマンを経て、クライスラー、フォード、ゼネラルモーターズ(GM)の「ビッグスリー」全社とBMWの上級役員を歴任した。
今回は、 “ボブ・ルッツ” の愛称で知られる彼のキャリアを振り返り、これまでに携わった数多くのクルマを年代順に紹介する。ミドエンジン車にしたかったという第7世代のシボレー・コルベットや、開発に携わりたかったという初代トヨタ・プリウスについても触れる。
オペルGT(1968年)
幼少期に米国国籍を取得したルッツ氏だが、自動車業界で最初に重要なポストに就いたのはドイツで、当時GMの主要欧州ブランドだったオペルに勤務していた。彼はこの時代のオペルを「基本的には退屈な人々のために退屈なクルマを作っている」と評している。
実際、オペル・カデットをベースにしたスポーツカー「GT」を作ることに対して、社内の抵抗を受けた。第3世代のシボレー・コルベットにも似たGTの存在意義をアピールするのも大変な仕事だったが、最終的にオペルは説得に応じる。GTは当初スタイリングの練習台だったが、市販車として結実した。
オペル・レコルト(1972年)
ルッツ氏はレコルトDの外観について自分の手柄だとは言っていないが、デザイナーであるチャック・ジョーダン氏(1927-2010)を多かれ少なかれそそのかし、このようなルックスに仕上げたとされている。
しばしば欧州と米国のデザインの違いについて講義を行うルッツ氏に対し、ジョーダン氏は自身の仕事のやり方に口出しされることをありがたく思わなかったが、いくつかのコメントは受け止めたという。
ルッツ氏によれば、ジョーダン氏はレコルトで「ジウジアーロを打ち負かす」と決意したそうだ。数年後、その結果について「あのクルマは完璧に近かった。素晴らしい出来栄えだった」と語っている。
BMW 5シリーズ(1972年)
オペル・レコルトが発売される頃には、ルッツ氏はBMWに移籍していた。BMWはGMよりもはるかに高額な報酬を用意したという。時期的に初代5シリーズのデザインに影響を与えることはなかったが、なぜこのモデルからBMWで「数字1桁+シリーズ」のネーミングを採用することになったのか、ルッツ氏はその理由を語っている。
アイデアはセールスマネージャーから提案されたもので、ルッツ氏いわく「(マネージャーは)あまり想像力や創造性に富んだ人ではなかった」が、アイデア自体は従来のネーミング方式よりも大きく改善されるものだと感じたという。以来、BMWはこのネーミングを使用し続けている。
画像 ボブ・ルッツは「奇抜」なデザインも意外と好きだった?【当時斬新だったモデル(シボレーSSR、メルクールXR4Tiなど)を写真で見る】 全28枚