プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍
公開 : 2024.07.06 18:05
BMW 2002ターボ(1973年)
ルッツ氏が言うには、02シリーズのターボ付き高性能モデルは「パフォーマンスが美化され、アウトバーンでの速度が過剰とみなされることはなかった」時代に開発された。しかし、発表と同時期に世界的な石油危機が始まり、突然燃費が重視されるようになると、速くても燃費が悪い2002ターボの存在意義は大きく揺らいだ。
「BMWは大きな非難を浴び、わたしの上司は事実上わたしを裏切った」と彼は回想する。しかし、どの自動車メーカーからも解雇されることは「まったく」なかったとも言っている。
BMW 3シリーズ(1975年)
初代3シリーズの実物大モデルを見たときの感想は、「箱だった」という。ルッツ氏はもっと見栄えを良くするためにデザイナーのポール・ブラック氏を招き、デザイン部門を設立した。
この頃にはBMWから高い給料をもらっていたが、企業文化に納得がいかず、フォードに移籍したと語っている。
フォード・シエラ(1982年)
ルッツ氏がフォードに移籍したのは、同社初の前輪駆動車であるフィエスタの開発直後のことだった。就任後、第3世代のエスコートの開発を担当し、最高速度と燃費向上の観点からより大型のコルティナとタウヌスの後継車(最終的にシエラと命名)も前輪駆動にしようとした。しかし、フォードからGMやフォルクスワーゲンに追随する余裕はないと言われて失望した。
シエラの空力ボディについては、地域によってまったく異なる反応が見られたという。「ドイツ人は、シエラを1930年代後半の空力車の現代版と見て、すぐに受け入れた。英国人はシエラを見て、 “これは一体何なんだ?” と言った」
メルクールXR4Ti(1985年)
メルクールXR4Tiは、欧州で販売されていたフォード・シエラXR4iを米国向けにあつらえたモデルで、ベースの2.8LケルンV6エンジンではなく、ターボ付き2.3Lリマ4気筒エンジンを搭載している。当時まだ欧州にいたルッツ氏は、米国で販売されるスポーティな欧州ファミリーカーの良いライバルになると考えた。
しかし、売れ行きは期待外れで、XR4Tiもメルクールというブランドもすぐに姿を消した。
クライスラー TC by マセラティ(1989年)
TC by マセラティは、1980年代にクライスラーの収益を支えたとされる前輪駆動のKプラットフォームをベースにしている。Kプラットフォームから派生した多くのモデルはクライスラーの財政を助けたが、TC by マセラティは違った。
フォードからクライスラーに移ったばかりのルッツ氏は、「この不運がもたらした損失を合計すると、6億ドル近くになった」と話す。
画像 ボブ・ルッツは「奇抜」なデザインも意外と好きだった?【当時斬新だったモデル(シボレーSSR、メルクールXR4Tiなど)を写真で見る】 全28枚