プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍
公開 : 2024.07.06 18:05
クライスラーのミニバン(1991年)
これまで手掛けた「エモーショナル」なクルマとして、第2世代のミニバンシリーズにも「大いに貢献した」という。クライスラー・タウン&カントリー(写真)、ダッジ・キャラバン、プリムス・ボイジャーだ。
「最盛期には毎年50万台以上を生産し、狂ったようにレジを鳴らしていた。わたしはコルベットZR1と同じくらい、そういうクルマに興奮するんだ。いや、むしろ、それ以上かもしれない」
ダッジ・ヴァイパー(1992年)
他にも多くの人物が関わっていることは明らかだが、ルッツ氏は一般的にヴァイパーの生みの親とされている。クライスラー社内で「何十回」もプレゼンして、オーソドックスなクルマばかりではなくヴァイパーのようなクルマも作れることを示すべきだと主張したという。
「次のミニバンを予定通り発売するために楽しいことをすべてキャンセルするのは、必ずしも正しい答えではない」
ルッツ氏がクライスラーを去ったのは、ヴァイパーが生産中止となる2017年よりずっと前だった。
「 “誰よりもパワーとスピードがある” というのが当初の前提だった。しかし、ヴァイパーはやがて、コルベットZR1やZ06に、さらには同系列のヘルキャットにさえ負けていた」
クライスラーLHシリーズ(1993年)
ルッツ氏はクライスラーで、デザイナーのトム・ゲイル氏やエンジニアのフランソワ・カステイング氏(1945-2023年)を含む、志を同じくする “6人組” の重役を率いていた。彼らは毎日ランチを共にし、アイデアを語り合っていた。
とりわけ、クライスラー・コンコード(写真)、ダッジ・イントレピッド、イーグル・プレミアなどに2004年まで使われていたLHプラットフォームの開発には、彼ら重役の協力があった。LHプラットフォームは従来のKプラットフォーム車とは異なり、エンジンをフロントアクスルの前方に縦置きし、室内空間を広くとるクライスラー独特の “キャブフォワード” デザインを生み出した。
ジープ・グランドチェロキー(1993年)
ルッツ氏は、国際モーターショーにおける派手な登場シーンでも知られている。新型グランドチェロキーのハンドルを握り、デトロイトのコールマン・ヤング(1918-1997)市長を助手席に乗せ、ショー会場の階段を上りガラス窓を突き破って登場したのだ。
もちろん、一連の演出は綿密に計画されたものだ。ガラス窓もオリジナルのものではなく、破片が細かく砕けるように設計されていた。どんなスタントよりも効果的に、しかも安く、グランドチェロキーへの注目を集めた。その時の映像は今も動画配信サイトなどで見ることができる。
画像 ボブ・ルッツは「奇抜」なデザインも意外と好きだった?【当時斬新だったモデル(シボレーSSR、メルクールXR4Tiなど)を写真で見る】 全28枚