プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍

公開 : 2024.07.06 18:05

ポンティアックGTO(2004年)

これまで関わったクルマの中で最もやり直したいものはどれかと問われたルッツ氏は、第5世代のポンティアックGTOを挙げた。オーストラリアで生産されたホールデン・モナーロのリバッジモデルで、「フロントエンジン、ハイパワー、スモールブロック、後輪駆動車で、IRS(独立リアサスペンション)を備えており、ハンドリングは最高だが、多くの人にとってスタイリングは残念なものだった。もっと時間と投資をかければ、60年代のGTOのキャラクターに近づけることができたはずだ」と評している。

ルッツ氏はまた、次のGTO(G8セダンをベースにした4ドア・クーペ)が実寸クレイモデルの段階まで進展したものの、2010年のポンティアックの閉鎖によりそれ以上には至らなかったことも明かしている。

ポンティアックGTO(2004年)
ポンティアックGTO(2004年)

キャデラックBLS(2005年)

BLSが「ボブ・ルッツ・スペシャル」の略だという話は単なるジョークだが、GMの製品開発責任者として彼が関わっていたことは確かだ。スウェーデンで生産されたサーブ9-3を手直ししたもので(ディーゼルエンジンはフィアット製)、キャデラックの中では唯一、北米で販売されなかったモデルだ。GMが崩壊の危機に瀕する2009年まで、約7000台が生産された。

キャデラックBLS(2005年)
キャデラックBLS(2005年)

シボレーHHR(2006年)

レトロなモデルを世に送り出そうとしたルッツ氏は、(クライスラーPTクルーザーと同様に)GMの反対を押し切ってHHRを開発した。両車が似ていたのは、ブライアン・ネスビット氏(1969年生まれ)が開発に携わっていたせいもあるだろう。ルッツ氏は、ネスビット氏が既存のコンセプトのデザインを発展させるために引き抜かれたと語っている。

HHRは大ヒットとはいかなかったが、少なくとも初期のSSRよりは長生きし、2011年まで生産された。

シボレーHHR(2006年)
シボレーHHR(2006年)

ポンティアック・ソルスティス(2006年)

2002年のデトロイト・モーターショーでルッツ氏が運転してみせたソルスティス・コンセプトは、2006年に市販車へと昇華した。彼の言葉を借りれば、この小さなロードスターに込められた理念は「シンプルに、純粋に、美しく」というものだった。

ソルスティスはGMのカッパ(Kappa)プラットフォームをベースにしており、サターン・スカイ、オペルGT、大宇G2Xの近縁車種である。

ポンティアック・ソルスティス(2006年)
ポンティアック・ソルスティス(2006年)

GMCアカディア(2007年)

初代アカディアは、同時代のビュイック・エンクレイブやシボレー・トラバースと同様、ラムダと呼ばれる新プラットフォームをベースとしたSUVだ。ルッツ氏は開発の初期段階で、室内空間を最大化し、スライドドアを備えた直線的なデザインを見せられたと回想している。「そういうことじゃない」とルッツ氏は言い、変更を求めたそうだ。

新しい案には大変満足した。「アカディア、エンクレイブ、トラバースは、ボディの表面処理という観点からは米国の自動車産業の最高傑作だと思う」と彼は2011年に語っている。

GMCアカディア(2007年)
GMCアカディア(2007年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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