プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍

公開 : 2024.07.06 18:05

キャデラックCTSスポーツワゴン(2010年)

2008年に第2世代のCTSのセダン仕様が導入され、その後ステーションワゴン仕様のCTSスポーツワゴンが加わった。ルッツ氏はこれに「非常に熱心」であり、メディアも同様だったという。実際、「お客さん以外はみんな気に入っていた」という。

6.2L V8を搭載するCTS-Vのステーションワゴンもあった。「米国には、スポーティなキャデラック・ワゴンを買う人がたくさんいると確信していた。それは間違っていたらしい」

キャデラックCTSスポーツワゴン(2010年)
キャデラックCTSスポーツワゴン(2010年)

シボレー・ボルト(2011年)

クルマづくりに携わる人なら、いつかは「最も誇りに思うクルマはどれか」と尋ねられるだろう。ルッツ氏にとって、それはシボレー・ボルトである。ガソリンエンジン搭載のレンジエクステンダーEVである。

彼はボルトについて「最も重要で、最も困難で、最も多くの発明を必要とし、チームにとって最大の挑戦だった。チームはそれをやり遂げ、わたしはとても壮観だと思った」と語っている。

シボレー・ボルト(2011年)
シボレー・ボルト(2011年)

シボレー・コルベット(2014年)

第7世代(C7)のコルベットは、本来あるべき姿ではなかった。ルッツ氏によると、2003年の時点でミドエンジン方式での設計案を目にしており、C7にも採用する明確な計画があったという。残念ながら、GMの財政が悪化の一途をたどる中、10億ドル近い開発費用がかかることから断念。

「その代わり、2億5000万ドルという予算を得て、 “ベストを尽くせ” ということになった。2億5000万ドルで量産型のミドエンジン車を作れるわけがなかった」

シボレー・コルベット(2014年)
シボレー・コルベット(2014年)

結局、ミドエンジンのコルベットが実現したのは、ルッツ氏がGMを去ってから10年近く経った2020年のことだった。

初代プリウスへの嫉妬

ルッツ氏がトヨタで働く姿は想像もできないが、彼は同社の生産プロセスを高く評価している。中でも、最も携わりたかったのが1997年の初代プリウスだという。

「プリウスにより、トヨタは世界の技術リーダーで、思いやりのある会社だと思わせた」

ボブ・ルッツ氏が携わりたかったというトヨタ・プリウス
ボブ・ルッツ氏が携わりたかったというトヨタ・プリウス

GMも「プリウスに勝るとも劣らない有望なハイブリッド車の案をいくつも持っていた」にもかかわらず、「財務状況がマイナスだった」ために断念したと彼は主張する。また、「トヨタとプリウスに対する一般大衆の称賛に腹が立ったので、ボルトを作った」とも語っている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事