奇抜過ぎる東欧諸国のクルマ 17選 「共産圏」独特の風味を持つ名車・迷車

公開 : 2024.07.07 18:05

東欧諸国はこれまで数多くの自動車を生産してきた。しかし、西欧や北米、日本らとは少し違ったセンスがあるようで、奇抜な外観や設計構造を持ったモデルも少なくない。その片鱗を紹介する。

共産圏で生まれた奇抜なクルマたち

東欧諸国はこれまで、奇抜な設計やスタイリングを持つ、奇妙ながらも興味深いクルマを数多く生産してきた。

今回は、東欧から生まれた名車・迷車の一部を紹介しよう。

東欧諸国のメーカーが生み出した奇抜なクルマを17台紹介する。
東欧諸国のメーカーが生み出した奇抜なクルマを17台紹介する。

タトラT603(1956年)

もし、あなたが1950年代後半のチェコの企業幹部や工場経営者だったら、名もなき大衆には買えない豪華なタトラT603を乗り回していたことだろう。

そのボディ形状は昆虫に似ている。ボディの両サイドから吸気口の「耳」が突き出し、リアに積まれた最高出力100psの2.5L V8エンジンに空気を送る。全体的にクロームメッキで仕上げられ、4灯の円形ヘッドライトがフロント中央についている。

タトラT603(1956年)
タトラT603(1956年)

ZAZ 968(1971年)

ウクライナ製の968は、大衆車として東欧市場に投入された。一見するとそれほど特別なクルマには見えないが、リアに冷却ダクトが設けられ、ある種のスポーティさを備えている。

最高出力41psの空冷1.2L V4エンジンと4速MTを搭載する後輪駆動車だ。エンジンは素晴らしいサウンドを奏で、オーディオシステムも標準装備されていた。

ZAZ 968(1971年)
ZAZ 968(1971年)

ヴェロレックス・オスカー(1945年)

このクルマの奇妙さは明らかだ。英国のモーガンに触発され、1936年に2人のチェコ人兄弟が小型で安価な3輪車の製作に着手したのが始まりだ。1945年、兄弟は最初の自動車を生産し、ボディには板金ではなく革を使用した。最高出力6psのオートバイ用エンジンが搭載され、当時の平均的な自動車の4分の1の価格で購入できた。

徐々に事業拡大し、1954年には80人の従業員を雇用し、月に40台を生産するまでになった。合計約1万6680台が生産された。車名の「オスカー(Oskar)」には「車軸付きのカート(kara na ose)」という意味があるそうだ。

ヴェロレックス・オスカー(1945年)
ヴェロレックス・オスカー(1945年)

メルクスRS1000(1969年)

エンツォ・フェラーリの作品と勘違いされるかもしれないが、このクルマは今は存在しない国、ドイツ民主共和国(DDR)で作られたものだ。ル・マン耐久レーサーのような外観、ガルウィングドア、ファイバーグラス製ボディを持つRS1000は、「社会主義者のフェラーリ」と呼ばれた。

V10かV12が積まれているかと思いきや、そうではなく、リアに最高出力68psの1.0L 2ストロークエンジンが搭載されている。10年間でわずか100台が生産された。

メルクスRS1000(1969年)
メルクスRS1000(1969年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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