奇抜過ぎる東欧諸国のクルマ 17選 「共産圏」独特の風味を持つ名車・迷車
公開 : 2024.07.07 18:05
SMZ S3D(1970年)
ソビエト連邦時代、自動車を購入できる経済状況にある人は少なかった。そこで政府が手を差し伸べ、ロシアのマイクロカー・メーカーであるSMZが身体障害者向けの安価なクルマを生産することになった。
このクルマを必要とする身体障害者には無償もしくは大幅な割引価格で提供された。車内は2人乗りで、最高出力18psの空冷2ストロークエンジンが500kgの車体を最高速度55km/hで走らせる。
ダチアMD87(1987年)
エンジニアのニコラエ・コスメスク氏(1950-2020年)は、ミドシップ・スポーツカーを作るという幼い頃からの夢を追い求め、MD87を完成させた。ボディはダチア・スポーツのものを流用し、エンジンは後部に移された。
車名の「MD」はコスメスク氏の妻(モニカ)と息子(ドラゴス)に由来し、「87」は発売年の1987年にちなんでいる。デザインは少々独特で、フォードGT40にインスパイアされたと言われている。
ラーダ111ターザン2(1999年)
基本的には、ラーダ111のボディをラーダ・ニーヴァのシャシーに載せ、頑丈なオフロードタイヤとブルバーを装着したモデルだ。高い地上高と四輪駆動で完璧な性能を備えているように見えるが、最高出力80psの1.8Lエンジンで重い車体を走らせなければならない。およそ1000台が生産されたと考えられている。
ダチア1410スポーツ(1983年)
1410が登場する1983年以前、ルーマニアのダチアは1310などを生産していた。1310は数多く販売されて街に溶け込んでいたが、1983年にダチアは全車種のモデルチェンジを実施し、ライバルメーカーのファストバック・クーペに遅れを取らないよう、1410スポーツを発表した。そのプロポーションはぎこちないもので、スポーツカーなのか、ファミリーカーなのか、多くの人に迷いを残した。
ZAZ 966(1966年)
東ドイツのトラバントに相当するロシア車であり、その優れたオールラウンド性能は称賛されたが、デザインが酷評された。多くの人が昆虫に似ていると考え、すぐに「せむし男」というあだ名が付いた。
また、サイドのエアインテークのせいで、身体が小さいくせに耳ばかり大きいと嘲笑する者もいたが、これは同時代の他車にも見られたデザインだ。有名なオーナーの1人にウラジーミル・プーチンがいる。ZAZ 966は彼の最初の愛車で、1972年に手に入れた。