奇抜過ぎる東欧諸国のクルマ 17選 「共産圏」独特の風味を持つ名車・迷車
公開 : 2024.07.07 18:05
ZIS-101Aスポーツ(1939年)
1939年当時、ソ連のモータースポーツ界はまだ成熟しておらず、複数のメーカーがスポーツカーを生産していたものの、軽量化技術は発展途上であった。ZISは増大するスポーツカー需要に対応し、富裕層向けの大型リムジンの101を改良した101Aスポーツを発表した。
しかし、直列8気筒エンジンのパワー不足(最高出力141ps)と、高級車ベースの骨格からくる重量(約2000kg)のために開発中止となった。いずれにせよ、第二次世界大戦でプロジェクトは立ち行かなくなっていただろう。1930年代で最も美しいスポーツカーの1つで、わずか2台しか製作されなかったが、近年いくつかのレプリカが作られている。
ザスタバ750(1962年)
第二次世界大戦後、ユーゴスラビアに輸入されたクルマには41%の輸入関税が課されたため、ユーゴスラビア人の中でも裕福な人しかクルマを買うことができず、多くの人は現地生産車を買うしかなかった。
ザスタバはこれを好機と見て、フィアットと契約を結び、当時のフィアット600をユーゴスラビア国内で生産することになった。これがザスタバ750となった。奇妙なことに、両車はほとんど同じだが、750のほうがフィアット600よりわずかに長い。
GAZ 24-95(1973年)
前述のターザン2同様、24-95も既存車を改造したオフロード用モデルである。ベースの24はモジュール構造であったため、軍事パレード用にコンバーチブル化されたり、ピックアップトラックの荷台が与えられたりした。ロシアの厳しい冬に対応するため、GAZは警察や政府高官向けに5台の24-95を生産した。
フロントアクスルはヴォルガのリアアクスルを流用したもので、地上高を高めたリーフスプリング・サスペンションと太いタイヤを備えている。ソ連のレオニード・ブレジネフ書記長も所有し、狩猟で使用していたという。