戦後革命を起こした1949年の名車 22選 欧米の「未来」を描いたクルマたち
公開 : 2024.07.14 18:05
戦後間もない1949年には、それまでの常識を覆すような革新的な自動車が数多く登場している。欧米で販売されたものを中心に、特に興味深いものを22台紹介する。
もくじ
ー常識を覆す革新的な自動車
ーアラードP1
ーオースチンA90アトランティック
ーボンド・ミニカー
ーブリストル401
ーバックラーMkV
ーダッジ・コロネット
ーフェラーリ166インテル
ーフォード・アングリア
ーフォード・カスタム
ーフレイザー・ナッシュ・ミッレミリア
ーヒーレー・シルバーストーン
ーリンカーンEL
ーマンツ・ジェット
ーMG TD
ーナッシュ・ステーツマン
ーオールズモビル88
ーポルシェ356
ーロールス・ロイス・シルバードーン
ーローバーP4
ーサーブ92
ートヨタSD
ートライアンフ・メイフラワー
常識を覆す革新的な自動車
1949年の自動車シーンは、前年にビッグネームが相次いで発表されたことから、期待薄な年だったかもしれない。
しかし実際には、フェラーリ初のロードカーが登場したり、各社でまったく新しいデザインが採用されたりと、世界中で革命的な変化が見られた年だった。
それは、戦争時代を乗り越え、新たな繁栄を享受しようとする人々のムードと呼応していた。
今回は1949年に登場した素晴らしいクルマの中から、欧米で販売されたものを中心に、特に興味深い22台を紹介しよう。
アラードP1
ロンドン生まれのシドニー・アラード氏は、米国製V8エンジンを英国製のシャシーとボディにマッチさせた最初の1人だ。多くの点で先見の明があったと言える。
この年、自身の名を冠したアラードという自動車メーカーをさらに拡大するべく、2ドア・ボディのP1を投入する。フォードやマーキュリーから流用した荒々しいエンジンなど、その競技用車両としての血統は明らかだった。
当時の欧米は、戦時中の貧しい雰囲気が薄れ始める中、より華やかなクルマを求めつつあった。アラード氏はその世相を読み、P1に競技性を持たせて魅力を高めた。モンテカルロ・ラリーの歴史において、自らの名を冠したクルマで優勝した唯一の人物となっている。
オースチンA90アトランティック
英国は第二次世界大戦で勝利した側とはいえ、莫大な借金を抱えて無一文になってしまった。このため、戦後間もない時期には「輸出か、死ぬか」という気風が高まり、多くの英国車メーカーが収益性の高い米国市場への参入を試みた。
オースチンが開発したのはA90アトランティックで、最初はコンバーチブル、次にクーペを発売した。残念ながら、米国ではエンジンが小さすぎ、英国では価格が高すぎるとして商業的には失敗した。
ダブルの「A」バッジや三つ目のフロントランプなどのディテールは、今見ると魅力的な時代物であるが、当時は販売にほとんど貢献しなかった。
合計8000台ほどが生産されたが、現在では世界でわずか60台ほどしか残っていないと推定される。しかし、アトランティックのエンジンとトランスミッションは1954年に登場したオースチン・ヒーレー100/4に受け継がれた。
ボンド・ミニカー
戦後、自動車はさまざまな方向に進化していったが、ローリー・ボンド氏は小型軽量のミニカーこそが進むべき道だと考えていた。
英国で燃料配給制がまだ実施されていた当時、排気量122ccのバイク用エンジンのおかげで40km/l以上の低燃費を実現し、また三輪車とすることで価格も低く抑えた。アイデアは悪くない。
困ったことに、ミニカーが登場したのは徐々に華やかさが求められていた時期で、モーリス・マイナーなどのライバルは四輪車だった。
その結果、ミニカーは奇妙な存在として認知されるにとどまったが、後のスエズ危機による燃料不足の時期には人気を博し、1965年まで生産された。
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