戦後革命を起こした1949年の名車 22選 欧米の「未来」を描いたクルマたち
公開 : 2024.07.14 18:05
リンカーンEL
1949年モデルのリンカーンELは、最上級のラグジュアリーと快適さを求める人々に向けたクルマだ。フルサイズで、4ドア・セダン、コンバーチブル、2種類のクーペがあり、それぞれ流線型の外観を持つ。
セダンは、1960年代まで続くリンカーンのトレードマークであるリアヒンジのバックドアが特徴的だ。いずれも先進的なものを求める米国の消費者に人気があった。
エンジンはリンカーンの伝統にとらわれず、V12の代わりにV8を採用した。親会社フォードによる合理的な判断だったが、336立方インチ(5.5L)のV8エンジンはパワーもトルクも不足はなかった。
マンツ・ジェット
名前の通り、決して内気で地味なクルマではない。米イリノイ州の実業家で自称「マッドマン(狂人)」ことアール・マンツ氏が発売したもので、「パーソナルな高級自動車」と宣伝された。
取り外し可能なハードトップを備えたコンバーチブルで、非常に低く構えたアルミニウムの流線型ボディが特徴だ。キャデラックまたはフォードのV8エンジンを搭載し、どちらもスムーズで速い走りを実現した。
しかし、過剰な生産コスト、ディーラー網の不足、既存の高級車メーカーとの競争などが重なり、わずか198台の生産で頓挫した。ミッキー・ルーニー氏やグレース・ケリー氏のような著名な顧客が付いても、マンツを財政的な瀬戸際から救い出すことはできなかった。
MG TD
発売された当時でさえ、MG TDは他のスポーツカーと比べると時代遅れに思える。
ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)の内部抗争により、TDは後継のTFが登場する1953年まで販売され、1955年にはようやく新型MGAが投入された。
TDは米国で成功を収め、合計2万9664台を販売した。純正のチューニングキットを装着すれば、最高出力を54psから90psにまで引き上げることができた。
ナッシュ・ステーツマン
ステーツマンは、ナッシュが空力性能を追求した新モデルである。そのため滑稽なほど丸みを帯びたフォルムとなり、車輪はフェンダーにすっかり覆われている。
このスタイルはエアフライト・スタイルと呼ばれていたが、前輪を十分に回転させることができなかったため、旋回半径はひどいものだった。
わずか2年で設計変更され、1952年モデルからはクロームメッキを多用したフロントエンドに切り替わっている。
しかし、1949年の初期型は、ボディとシャシーの別体構造が主流だった時代にユニボディ(モノコック)構造を採用したことで注目された。
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