60年前の英トラック運転手 凍てつく夜に4軸22トンでロンドンを走る 歴史アーカイブ
公開 : 2024.07.04 18:05
今とは違って運転支援システムや快適装備もほとんどなかった、1960年代の英国の大型トラック。ひどい乗り心地、ディーゼルの排ガス、優柔不断な乗用車など、トラック運転手の苦労を取材した。
排ガス、振動、氷… トラック運転手の苦労
今日の大型トラックは驚くほど進化しており、安全性を可能な限り確保するためにあらゆる電子システムを備えている。しかし、今から60年前にはそのような安全機能や快適装備はなかった。
1964年、当時のAUTOCARの英国記者は大型トラック(英国ではローリーと呼ばれる)に同乗し、運転手の仕事を取材した。貨物を積んだ22トンの4軸8輪車で街中を走り、坂を上って降りていくのがいかに難しいか、身をもって体感した。
取材に協力してくれた運搬業者はシルバー・ロードウェイズ(砂糖精製会社テート&ライルの子会社)、運転手は44歳のアルフと呼ばれる男性、トラックはガードナー製10.5L 6気筒ディーゼルエンジンで最高出力150ps 、最大トルク67.0kg-mを発生するフォーデンだった。
余談だが、フォーデンは1880年に産業用蒸気エンジンとトラクション・エンジンの生産を開始した、黎明期の英国企業である。1970年代の景気低迷で財政難に陥ったところ、1980年に米国企業のパッカーに買収された。1998年に同じく英国のレイランド・トラックスも同社に買収され、2006年にはフォーデンの名は消えてしまった。
1964年に話を戻そう。記者の仕事は、ロンドン東部の埠頭からグロスターシャー州の中継基地まで砂糖を運ぶ夜勤運転手を取材することだった。中継基地で南ウェールズの製鉄所の棒鋼と積み荷を交換した後、首都に引き返すという予定だった。
アーカイブ:1960s lorry driver
午後8時半にヤードに着くと、ドライバーたちがタバコを吸いながら談笑していた。アイドリング状態のエンジンが、テムズ川沿いの霧を含んだ空気に刺激的なディーゼルの排ガスを混ぜていた。
父親もトラック運転手だったというアルフは、14年間夜勤を続けている。「その方が好きなんだ。同じ仲間に会えるしね。クラブみたいなものさ。でも、いい女がいないと耐えられない。妻には埋め合わせをするよ。毎年3週間は休暇をとって、バカンスに連れて行くんだ」
彼はエアラインの凍結を避けるためにリザーバーの水を抜き、午後9時にキャブに乗り込み、トラクター用とトレーラー用の2枚の記録用紙に記入する。キャブに閉じ込められた排ガスで窒息しそうになりながら、夜のうちに出発した。
彼はローリーの乗り心地について「驚かされる」と言い、こう説明した。「全長11mのトラクターは、真ん中にヒンジがあるから、ピッチに対する抵抗がほとんどない。トラクターのホイールベースは2.7mしかなく、激しく揺さぶられ続ける」
「身構えることはないさ!クルマに合わせりゃいい!」エンジン音に混じってアルフが叫んだ。しかし、当の本人はシートの上をポンポンと跳ね回っている。
市街地を疾走し、絶えずギアを変え、曲がり角では大きなミラーを覗き込んでトレーラーのラインを確認し、周囲の交通に目を配る。ラウンドアバウトや交差点にさしかかると、一帯の道路をすべて見渡せるので、通過速度を非常にスムーズに決めることができた。
乗用車のドライバーは、優柔不断な態度で我々を困らせることが多かった。彼らが思っている以上に、トラックの走行にとっては大きなハンディキャップなのだ。
フォーデンの12速のギアをどう組み合わせるのが最適か、アルフはよく理解している。彼は状況に合わせて、軽やかにギアを変えていく驚異的な技を見せた。
まもなくコンボイと合流し、濃霧のトンネルを抜けた。その後、孤立した二車線道路では、アルフは視界をよくするためにヘッドライトを消して月の光だけで運転した。
中継基地で同僚を待つ。ウェールズ人のビルが帰路の荷物を積んで到着したのは午前3時だった。対向車がビルの目の前の生け垣を突き破ってきたそうで、「ありゃ、ひどかったぜ」と言った。
その間に降った雨は氷となり、我々は時速20マイル(32km/h)以下でロンドンまで戻らなければならなかった。アルフは時折トレーラーのブレーキをいじって効き具合をチェックした。我々は午前6時ごろに到着した。
記者は「この後、どんな気分でクルマを運転するんだ?」と尋ねてみた。
「最悪だよ!」と彼は答えた。「他のドライバーとの競争で、押しのけあうんだ。狂ったトラック運転手もいる」
この60年の間に運送業は大きく変わったが、昔と変わらないものもある。