1960年代を謳歌した名車 20選 半世紀経っても忘れられないクルマたち
公開 : 2024.08.04 18:05
トライアンフ・スピットファイア4(1962年)
スピットファイアは開発段階で「ボム(Bomb)」というニックネームで呼ばれていた。トライアンフの開発チームは、非常に小さなトランクと貧弱なウェザープロテクションを持つヒーレー・スプライトよりも良いものを作れると考えていた。
プロジェクト・ボムは、トライアンフ・ヘラルドのバックボーン・シャシーと駆動系を流用した。しかし、1956年のスエズ危機の影響で英国の自動車販売が低迷し、トライアンフは財政難に陥っていたため、プロジェクト・ボムは未完成のまま工場に放置された。
その後、トライアンフがレイランドに買収され、工場を訪れた幹部はこのプロジェクトに大きな関心を示した。開発作業は再開し、ニックネームは廃止され、スピットファイアという正式名称が与えられた。こうして唸るような排気音を持つスポーツカーが誕生した。
シボレー・コルベットC2(1963年)
ジャガーEタイプが発表されたとき、その大胆なスタイリングは英国を震撼させた。シボレーがC2コルベットを発表したとき、同じことが米国でも起こった。速さとスタイリングの両面で新しい領域に踏み込んでおり、あまりの人気の高さから工場は2交代制へと移行したが、それでも需要に追いつけなかった。
ポンティアックGTO(1963年)
1963年9月に生産開始し、初年度の販売予測は5000台だったが、結果は3万2450台だった。GTOはポンティアック・ルマン向けのオプションパッケージとして用意され、エンジン強化により最高出力325psを発生する。さまざまなコンポーネントや「GTO」バッジが装着され、ボディとしてはクーペ、コンバーチブル、ハードトップがあった。
1960年代のGTOはとにかくクールで、ステアリングが鈍くブレーキにも疑問が残るものの、ひねりが効いていた。1965年型のテンペストは、1/4マイルを15秒以下で走破した。
アストン マーティンDB5(1963年)
「ウォッカ・マティーニを、ステアではなくシェイクで」――アストン マーティンDB5はしばしば「世界で最も有名なクルマ」と称される。あらゆる面で目を見張るものがあるが、映画『007/ゴールドフィンガー』で機関銃、バタリングラム、煙幕など数多くのガジェットを装備し、人々を夢中にさせた。
先代のDB4は好調な売れ行きを示したが、激しい競争についていくためにDB5が作られた。全体として、クーペが887台、コンバーチブルが123台、特注のシューティングブレークが12台生産された。セレブたちは1022台のうちの1台を手に入れようと、アストン マーティンに大金を投じた。
画像 軽量スポーツカーから超高級車まであった1960年代の英国【MGBとロールス・ロイス・シルバーシャドウを写真で見る】 全35枚