フォードGT40(1964年)

数か月にわたる交渉の末、フォードフェラーリ買収の準備を整えた。しかし、土壇場でエンツォ・フェラーリ氏が身を引いたため、怒ったヘンリー・フォード2世がフォードのプロダクトマネージャー、ドン・フライ氏にル・マンに向かい、痛いところを突くように言ったという伝説がある。

その結果、GT40と呼ばれるミドエンジンのレーシングカーと、そのロードカー仕様であるGT46がフォードの重役たちに披露された。そのベースとなったのは、英国の小さなレーシングカー・エンジニアリング会社であるローラが開発した、アルミ製ボディのMk6というレーシングカーだ。

フォードGT40(1964年)
フォードGT40(1964年)

フォードは2台のローラMk6を購入。GT40を製作した。ル・マンでは2年間続けて完走できなかったが、1966年にGT40 MkIIのおかげで1-2-3フィニッシュを達成した。

ポルシェ911(1964年)

当初はポルシェ901と名付けられていたが、フランスのプジョーから命名権に関するクレームを受け、「911」に変更せざるを得なくなったと言われている。ポルシェ356の後継車であり、最高出力は55psから128psに向上。0-100km/h加速9.1秒、最高速度210km/hと、当時としては素晴らしい性能を誇った。

ポルシェ911(1964年)
ポルシェ911(1964年)

フォード・マスタング(1964年)

マスタングは、スポーティなイメージの4人乗りファミリーカーを目指していた。第2世代のフォード・ファルコン(北米仕様)から生まれ、ボンネットは伸び、リアは短くなった。1960年代はレースが盛んだったため、マスタングはレース愛好家にアピールする必要があり、2シーター仕様とした。

その後、キャロル・シェルビー氏が参入し、2+2仕様を100台集めてGT 350モデルを作った。リアシートを取り外し、大型のフロントブレーキ、グラスファイバー製のボンネット、より太いタイヤを装着し、その他にもさまざまな性能向上を図った。

フォード・マスタング(1964年)
フォード・マスタング(1964年)

ロールス・ロイス・シルバーシャドウ(1965年)

ドイツと米国はロールス・ロイスに猛追し、英国から「世界最高のクルマ」の称号を奪い取ろうとしていた。ロールス・ロイスは旧式化が始まっていたシルバークラウドに別れを告げ、1965年に後継車のシシルバーシャドウを投入。高級サスペンション、シトロエンからライセンス供与されたブレーキ、そして新開発の超滑らかなV8を採用した。

シルバーシャドウは瞬く間にロールス・ロイスの最重要モデルとなった。英国のロックバンド、オアシスがアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』のジャケットでプールに沈めたこともあるが、エンジンは外されていた。

ロールス・ロイス・シルバーシャドウ(1965年)
ロールス・ロイス・シルバーシャドウ(1965年)

記事に関わった人々

  • AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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