ランボルギーニ・ミウラ(1966年)

フェルッチオ・ランボルギーニ氏は1962年、スペインの闘牛飼育家ドン・エドゥアルド・ミウラ氏の牧場を訪れた。そこでは大型の闘牛を飼育しており、刺激を受けたランボルギーニ氏は次のモデルに彼の名を付けることにした。市販型のミウラP400は、標準的な市販車としては世界最速で、V12エンジンで最高速度280km/hを誇る。

そのボディはエンツォ・フェラーリ氏を振り返らせるためにマルチェロ・ガンディーニ氏によって形作られ、発売以来数多くの映像作品に登場した。また、世界中のセレブリティたちが購入し、今では売りに出されると150万ドル以上の値がつく。

ランボルギーニ・ミウラ(1966年)
ランボルギーニ・ミウラ(1966年)

シボレーカマロ(1966年)

フォードマスタングの大成功を見たシボレーは、大急ぎで対抗馬の開発に取り掛かった。初代カマロは1966年9月に発売され、初年度の販売台数は22万台を超えたが、同時期のマスタングの41万8000台以上には遠く及ばなかった。

シボレーはその後、1967年モデルとしてZ/28を送り出した。競合車を圧倒するダイナマイトのような強烈なマシンで、SCCAトランザム・シリーズで3度の優勝を飾った。1968年には13レース中10レースで勝利している。

シボレー・カマロ(1966年)
シボレー・カマロ(1966年)

フォード・エスコート(1968年)

エスコートは元々、フォード・スクワイアの低スペック版であったが、独立して大ヒット商品に発展した。初代エスコートでは、手頃な価格の「1.1」から、パフォーマンス重視の「ブライミー」と呼ばれるツインカム仕様を選ぶことができた。

その後6年間で、フォードは200万台以上のエスコートを販売した。家族全員を乗せることができ、狭い駐車スペースにも入る。旧型のアングリアとは異なる新鮮なデザインも目を引いた。

フォード・エスコート(1968年)
フォード・エスコート(1968年)

ダットサン240Z(1969年)

トヨタジャガーEタイプを思われるスポーツカー、2000GTを発売し、ダットサンは240Zで対抗した。2000GTもヒットしたが、240Zの方がはるかに商業面で成功し、生産開始からわずか4年で16万台以上を売り上げた。2シーターのレイアウト、スチール製モノコック、6気筒エンジン、そして低重量により瞬く間に大ヒットとなった。

ダットサン240Z(1969年)
ダットサン240Z(1969年)

記事に関わった人々

  • AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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