「18年」で完全復元! 宿敵はダットサン240Z フォード・エスコート Mk1 サファリラリー(1)

公開 : 2024.07.21 17:45

18年を費やし、完璧に復元されたワークス・サファリラリー・マシン ヘッドライト・ワイパーやシートベルトは再製造 普通の靴では運転できないペダル間隔 英編集部が高度な仕上がりを体感

東アフリカ・サファリラリーを走った姿を再現

「1971年のサファリラリーでスタートラインへ並んだ姿、そのままである必要がありました。誰かが間違いを教えてくれるなら、喜んで直しますよ」。と笑顔で話すのは、ニール・ロビンソン氏だ。

18年を費やした、愛車を見つめる。「でも、あえてオリジナルとは違う場所が3か所あるんですよね」

フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリー(1971年式)
フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリー(1971年式)

そのクルマとは、ティモ・マキネン氏とヘンリー・リドン氏のペアで、東アフリカ・サファリラリーを戦ったフォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリー。総合20位で完走したが、優勝はしていない。他のエスコートより速かったわけでもない。

その年に優勝したのは、ダットサン日産)240Z(フェアレディZ)。しかも、見事に1-2フィニッシュを勝ち取っている。

とはいえ、フォードの存在感は小さくなかった。サルーンのゼファーとアングリアは以前からの常連で、コルティナ GTは1964年に優勝。1969年にも、大きなタウヌス20M RSで優勝している。

1971年のサファリラリーは、エスコートでの初戦。グレートブリテン島南東部、ボアハムに拠点を置くフォードのコンペティション部門は、勝利を目指していた。できれば、欧州のチームで。過去の優勝チームは、いずれも東アフリカからのエントリーだった。

暑さと砂埃、整備時間を考慮し1.6Lツインカム

フォードのワークスチームは、16バルブのコスワースBDAエンジンをテストしていた。だが、耐久性は未知数だった。暑さと砂埃、整備できる時間の短さを考慮し、自社の1.6Lツインカム・エンジンが登用された。

1970年のロンドン-メキシコ・ワールドカップ・ラリーでは、従来的なオーバーヘッドバルブのケント・ユニットを改良し優勝。その後、フォードの技術者はツインカムに対する理解を深め、自ら142psの1.6Lツインカム・エンジンの開発を進めていたのだ。

フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリー(1971年式)
フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリー(1971年式)

翌1971年のサファリラリーには、6台のワークスマシンが参戦。装備は、ワールドカップ・ラリーの仕様と同等だった。フロントフェンダーとルーフを守る、露出したバザード・バー以外。

結果的に、ツインカム・エンジンのエスコートは、シングルカムの240Zのペースを超えられなかった。その1台を駆ったのがマキネンで、サスペンションとプロペラシャフトに大きなダメージも被った。

1972年には、テストを重ねたコスワースのBDAエンジンへスイッチ。エスコート RS1600は、見事に優勝している。

フォードのツインカムから、DBAへ載せ替えるのは難しい作業ではなかった。ボアハムの技術者は、実際に数台を交換している。他方、LVX 943Jのナンバーで登録されたこの1台は、ラリー後にそのまま売却された。

ロビンソンが購入後に過去の足跡を辿っているが、1980年代に誰が所有していたのかは判明していない。複数の小さなラリーイベントへ、参戦したことは突き止めたが。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

フォード・エスコート Mk1 サファリラリーの前後関係

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