「18年」で完全復元! 宿敵はダットサン240Z フォード・エスコート Mk1 サファリラリー(1)

公開 : 2024.07.21 17:45

キッカケは叔父さん 自宅を売却してお金を工面

エスコート Mk1へ、ロビンソンが強い関心を抱くキッカケを作ったのは、彼の叔父だった。1973年式のエスコート 1300スポーツを所有しており、小さい頃は学校まで送ってもらったという。

その後、クラブマンレーサーへ改造。ロビンソンが買い取り、2台目の愛車になった。現在もそのエスコートは所有しているものの、近年は走らせていないとか。

フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリーと、オーナーのニール・ロビンソン氏
フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリーと、オーナーのニール・ロビンソン氏

「ロンドンに引っ越し、充分な給料を貰える仕事へ就き、Mk1のRS 2000を買ったんです。かなりの額のボーナスが出た時に、RS 1600も手に入れました」

この2台体制が組まれると、彼はフォードのイベントへ積極的に参加。オーナーズクラブにも関わるようになった。そこで、エスコートの第一人者として知られる、デイブ・ワトキンス氏と対面。しばらくして、元ワークスカーが販売中という情報を聞きつけた。

その頃、映画業界で働いていたロビンソンは、アメリカ・サンフランシスコに移住していた。「販売価格は、自分が払える金額より高かったんです。しかし、その時は妻も買うべきだと賛同してくれたんですよ」

「自宅を売却してお金を工面しました。このクルマと出会ってから、自分が夢中になっている様子を見て、妻も共感してくれていたようです」

それが18年前。購入後の8年間は、クルマの調査と部品の収集に費やされた。ひと段落すると、ワトキンスとロビンソンはレストアの方向性を入念に打ち合わせた。

古い写真を収集 シートベルトは復元

「どのワークスマシンにするか、正確な過去のラリーカーにするか、決める必要がありました。1度作業を始めたら、後戻りが難しいことですから」。そこでロビンソンが選んだのが、本来の、優勝を逃した1971年のツインカム・サファリラリーだった。

具体的な仕様を確認するため、入念な調査と作業が始まった。多額の費用を費やし、古い写真を買い集めることも必要になった。以前の歴代オーナーが所有していた期間に、状態は徐々に変化してもいた。

フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリーと、オーナーのニール・ロビンソン氏
フォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリーと、オーナーのニール・ロビンソン氏

「サファリラリーへ参戦した時の姿を取り戻すため、考古学的な思考も持ち込む必要がありました」。と彼が振り返る。完全になくなっていたフロントガラスは、最後に残っていたスペアパーツを発見した。

「当時のレース用シートベルトを見つけるのは、極めて難しいことでしたね。だいたい、走り終えると交換され、捨てられてしまうので」。それでも彼は諦めず、2組のベルトの残骸を発見している。

バックルは、その頃製造していたメーカー、ウィランズ社へ連絡を取った。「社長へ古い写真を見せると、ちょっと待って、といって部屋を出ていかれました。持って来られた靴箱の中に、幸運にも当時の新品が入っていたんです」

実際の競技では使用しないという誓約書へ、ロビンソンは署名。同社が特別にシートベルトを製作してくれたそうだ。

この続きは、フォード・エスコート Mk1 サファリラリー(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

フォード・エスコート Mk1 サファリラリーの前後関係

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