【フル電動化への前奏曲】復活はすぐそこに ホンダ・プレリュードの歴史をたどる

公開 : 2024.07.10 17:35

昨年秋のジャパンモビリティショー2023(以下、JMS)にサプライズでワールドプレミアされ、一躍注目を浴びた「プレリュード・コンセプト」。会場で明かされたエピソードをご紹介しながら、プレリュードというクルマについてふり返ってみたい。

2代目から「デートカー」の代表モデルに

鮮やかなレッドのプレリュード・コンセプトが、7月11〜14日にイギリスで開催されるモータースポーツ・イベント「グッドウッド・フェスティバル of スピード」でヨーロッパ初公開されるという。ちなみに、JMSでお披露目されたモデルは目にも眩いホワイトだった。

初代プレリュードは、1978年にデビューした。ホンダとしては久々に登場したクーペで、日本車では初の電動サンルーフを採用するなど、いわゆる「スペシャリティカー」という立ち位置だった。全長は4mあまりのコンパクトサイズながら、ロー&ワイドなプロポーションも独特だった。

3代目プレリュード(1987~1991年)
3代目プレリュード(1987~1991年)    ホンダ

だが、当時のシビックをクーペ化したようなデザインが今ひとつインパクトに欠けたのか、日本では注目されたわりにはヒットしなかった。むしろヨーロッパなど海外での人気が高く、多くが輸出仕様となった。

1982年、ラヴェルの「ボレロ」をBGMとしたTVコマーシャルとともに、2代目プレリュードが登場。当時流行していたリトラクタブル・ヘッドランプや低いボンネットなど、スポーツカーと見紛うかの伸びやかなプロポーションは女性からも人気を集め、大ヒットモデルとなる。プレリュードは、スペシャリティカーから「デートカー」へと進化した。

当時はプレリュード以外にも、トヨタソアラを頂点に、トヨタ・セリカや日産シルビアなどが人気を集め、スペシャリティカーは若いクルマ好き(とくに男性)が手に入れたいモデルの代表格となっていった。

3代目プレリュードは2代目の正常進化版として1987年に登場し、その人気を持続した。だが、折からのバブル景気崩壊や、クルマのトレンドがミニバンやSUVに移行していったことでスペシャリティカーの人気は薄れた。それでもプレリュードは1991年に4代目、1996年に5代目と進化を続けたが、時代は振り向いてくれなかった。

2001年に5代目プレリュードは販売を終了し、ホンダのラインナップから姿を消した。

まさにハイブリッド車のプレリュード(前奏曲)

プレリュードの名がホンダのラインナップから消えて22年。JMSのブースに突然現れたのが「プレリュード・コンセプト」。しかも、コンセプトと謳ってはいるものの、ホンダでは2020年代の半ばには市販を目指して開発中であるという。

ホンダでは2040年までにBEV(バッテリー電気自動車)とFCEV(燃料電池自動車)の販売比率をグローバルで100%にすることを目指している。それに至る前に、ホンダのスポーツマインドを具現化したスペシャリティとフラッグシップ、2つのスポーツEVを市場に投入するとしていたが、そのスペシャリティ版がこのプレリュードだった。

ホンダ・プレリュード・コンセプト
ホンダ・プレリュード・コンセプト    ホンダ

したがって、プレリュード・コンセプトはBEVと思われていたが、じつはe:HEVを採用したハイブリッド車だった。プレリュード(PRELUDE)とは英語で「前奏曲」や「先駆け」の意味。つまり、ホンダのフル電動化に至る前奏曲として、世に出てくるハイブリッド車には、まさに「プレリュード」という名がふさわしいと言えるだろう。

ちなみに、プレリュードの名は開発当初から決まっていたのではなかったが、結果的にこの名を与えることに反対する人は社内にはいなかったという。

歴代のプレリュードとは異なり、テールゲートを備えた3ドアのファストバック・クーペとしたのは、リアシートにプラス2以上の居住性をもたらし、またリアシートをたたんで2シーターとすれば、ワゴンほどではないがラゲッジスペースを有効に使うことも可能だからという目論みもあるようだ。

全体の面構成がシンプルなのは、多くの世代に愛され、また長く乗って欲しいという開発陣の想いも込められているという。2代目や3代目プレリュードに乗っていた人が、現在のパートナーとのデートカーとして、また子どもと楽しむ新時代のデートカーとして選ばれることも願っている。

JMSではインテリアは非公開だったが、グッドウッドでは公開される可能性は高い。実際、JMSの時点でもほぼ完成形だったようだ。ホンダが目指す「2020年代の半ば」は、もうすぐ。スペシャリティカーやスポーツカーには厳しい時代が続いているが、プレリュードのようなハイブリッド スペシャリティスポーツに期待する人は少なくないはず。

ホンダの本格的電動化の「前奏曲」が開演する日を、楽しみに待ちたい。

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。

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