パトカーを圧倒した「窃盗団」の逃走車 世界最速だった4ドアサルーン ロータス・カールトン(1)

公開 : 2024.07.28 17:45

英国オペルのヴォグゾールとロータスが手を組んだ、高性能カールトン 世界最速を誇ったスーパーサルーン 窃盗団の逃走車両になった黒歴史 警察を悩ませた「40 RA」を英編集部がご紹介

視界から消えていったグリーンのボディ

フォード・シエラ・コスワースが、自宅の車寄せへ突っ込む。ドスッ。顔面へパンチを食らったリチャード・オースティン氏は、地面に倒れ込む。クルマのセキュリティ・アラームが、周囲を威嚇し続ける。

リチャードが気付いた時には、3・4人の男がロータス・カールトン(オメガ)を奪う寸前だった。立ち上がった彼は、妻へ叫ぶ。「警察に電話して。奴らを逃さねえ!」

インペリアル・グリーンのロータス・カールトンと、パトカー仕様のローバーSD1 3500
インペリアル・グリーンのロータス・カールトンと、パトカー仕様のローバーSD1 3500

まだ薄暗い、午前5時。英国では警察の宿直勤務の交代時間に当たり、対応が遅いことを窃盗団は理解していた。シエラ・コスワースでカールトンのリアバンパーが押され、自宅の前から移動されていく。

リチャードは、妻のルノー・エスパスへ飛び乗り追跡。すぐに愛車を発見するものの、犯人たちはキーなしでエンジンを始動させようとしていた。それが成功したら、ゲームオーバーに近かった。

ギャレット社製のT25ターボが2基組まれた、3.6L直列6気筒の最高出力は382ps。その大パワーを使われたら、ルノーのミニバンでは追いきれない。

次の瞬間、ヴォグゾールオペル)・キャバリエが猛スピードで接近してくるのが見えた。彼は慌ててエスパスをバックさせるが、間に合わず。フロントへ衝突され、走行できない状態になった。

「目眩のなかで、カールトンのエンジン音が聞こえました。グリーンのボディが、視界から消えていったんです」。緊迫した当時の朝を、彼が振り返る。

賛否両論が渦巻いたロータス・カールトン

悲劇から1か月前の1993年10月、リチャードは英国の運転免許庁が開くナンバープレートオークションに参加していた。狙いを定めたのは、「40 RA」のプレートだった。

「その時、自分は41歳でした。1つ違いますが、年齢に近いと思ったので」。入札が始まり、最高額を提示したのは彼だった。そのナンバープレートは、インペリアル・グリーンに塗られた、真新しいロータス・カールトンの前後へ貼られた。

ロータス・カールトン(1989~1992年/英国仕様)
ロータス・カールトン(1989~1992年/英国仕様)

「気に入っていて、ファミリーカーとして毎日のように乗っていました。盗まれるなんて、想像していませんでした。狙われている気配は、全然ありませんでしたからね」

ロータス・カールトンは、秀でた実力と裏腹に、新車時には賛否両論が渦巻いた。ベースになったのは、ファミリー・サルーンのヴォグゾール・カールトン GSi 3000。ロータスは、エンジンだけでなくボディにも大々的に手を加えたが、販売は伸び悩んだ。

そんな彼の愛車は、1993年11月25日に、グレートブリテン島中部のウスターシャー州にある自宅から盗まれた。カーセキュリティが不意に鳴り、寝ぼけた頭で外を見ると、数名の男の影が見えたという。

「クルマをいじっていることは、すぐに分かりました。突然の状況で、考えるより先に玄関へ向かっていましたね。クソ野郎、何してるんだ!って叫びながら」

無法者だから、暴力もいとわない。特別なカールトンを失っただけでなく、彼は顔にアザを作り、エスパスにも大きな被害を被った。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ロータス・カールトンの前後関係

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