米国のジャンクヤードで出会った廃車 40選 前編 朽ちていく半世紀前のアメ車たち

公開 : 2024.08.03 18:05

シボレー(1949年)

木の下に駐車するのはおすすめできない。特に松はよくない。落ちてきた針のような葉が隙間に入り込み、湿気がたまると板金に大ダメージを与えるからだ。

歯のようなグリルと丸いパーキングライトの開口部から、1949年型のシボレーであることがわかる。シボレーが戦後のデザインを一新した年だ。ライバルのフォードは1948年に新型車を発表し、シボレーに10万8000台もの大差をつけている。

シボレー(1949年)
シボレー(1949年)

フォード(1959年)

クーリーズ・ステートワイド・スクラップ・アンド・サルベージの手前側は、大型機械が金属スクラップを選別し、破砕する活気のある場所だが、奥側は対照的だ。聞こえてくるのは鳥のさえずりと藪をかき分けるウサギの鳴き声だけで、驚くほど静かで平和なオアシスを作り出している。

この静かな環境の中に、珍しいグリルをはじめとする多くの部品を残した1959年型フォードが置かれている。

フォード(1959年)
フォード(1959年)

リンカーン・コンチネンタル(1959年)

1959年型リンカーン・コンチネンタルMkIVは、プレミアとボディを共有しているが、逆傾斜のルーフラインを主な特徴とした。1950年代後半はリンカーンブランドにとって困難な年であり、不況下で新型車の開発費を回収するのに苦労した。資金難にもかかわらず、リンカーンは兄弟ブランドのエドセルよりも業績を伸ばした。

リンカーン・コンチネンタル(1959年)
リンカーン・コンチネンタル(1959年)

シボレー・インパラ(1969年)

ナンバープレートのタグによると、この1969年型シボレー・インパラ・カスタムクーペは1978年以来、公道を走っていないようだ。まだほとんどの部品が残っていることから、おそらくクーリーズ・ステートワイド・スクラップ・アンド・サルベージに運ばれてきたのは比較的最近にことだろう。

1969年のシボレーの総生産台数は209万2947台で、そのうち77万7000台がインパラであった。

シボレー・インパラ(1969年)
シボレー・インパラ(1969年)

エドセル・ペーサー(1958年)

1958年はエドセルにとって最高の年で、6万8045台が販売された。しかし、ボディスタイルが18種類も用意されていたため、個々のモデルが大きな販売台数を記録することはなかった。ペーサーの2ドア・ハードトップは売れ筋の1つであったが、販売台数はわずか6717台であった。

1959年、ペーサーはエドセルのラインナップから外され、全体の生産台数は4万7396台に落ち込んだ。

エドセル・ペーサー(1958年)
エドセル・ペーサー(1958年)

アウディ100LS

フォルクスワーゲンの子会社アウトウニオンが開発した初代アウディ100は、1968年から1976年まで生産され、販売面で成功を収めた。車名は1.8Lエンジンの馬力にちなんでおり、当時のアウディブランドで最も成功したモデルとなった。

この4ドア・セダンのLSは、クーリーに到着する前に激しく破損したようで、ガラスがなくなっている。しかし、どうにかテールライトは生き残った。

アウディ100LS
アウディ100LS

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ。テレビゲームで自動車の運転を覚えた名古屋人。ひょんなことから脱サラし、自動車メディアで翻訳記事を書くことに。無鉄砲にも令和5年から【自動車ライター】を名乗る。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴとトマトとイクラが大好物。

関連テーマ

おすすめ記事

 

キャデラックの人気画像