米国のジャンクヤードで出会った廃車 40選 前編 朽ちていく半世紀前のアメ車たち

公開 : 2024.08.03 18:05

リンカーン・コンチネンタル(1941年)

この1941年型リンカーン・コンチネンタルはあまり部品も残っていないが、その存在だけでも注目に値する。サルベージヤードで見つけるのは本当に珍しい。最高出力120psの4.8L V12エンジンを搭載し、当時としてはまずまずのパフォーマンスを誇った。

0-97km/h加速は約18秒、最高速度は160km/hに迫った。この年に販売された1251台のコンチネンタルのうち、このような2ドア・クーペは850台であった。

リンカーン・コンチネンタル(1941年)
リンカーン・コンチネンタル(1941年)

シボレー(1951年)

この1951年型シボレーがヤードにやってきた当初は、木は生えていなかったようだ。時が経つにつれ、左側の木がクルマに食い込むように成長し、側面のへこみが大きくなっている。

1951年は米国の自動車産業が困難を迎えていた時代だ。朝鮮戦争のために金属が軍に優先され、自動車の生産は制限された。クロームの製造工程からニッケルが取り除かれ、錆の進行を早めることにつながった。このバンパーはあまり劣化していない。

シボレー(1951年)
シボレー(1951年)

シボレー・コルベア・モンツァ

社会運動家ラルフ・ネーダー氏は著書の中で、シボレー・コルベアを「どんなスピードでも安全ではない」と評したことで有名だが、フロントガラスやヘッドライトがなければ、この評価に同意したくなるだろう。しかし実際には、同時代の他車と比べて安全性に劣っていたわけではない。

ダッシュボードの状態から判断するに、この1963年型コルベア・モンツァは何年も昔にガラスを失っていたと思われる。

シボレー・コルベア・モンツァ
シボレー・コルベア・モンツァ

フォード(1941年)

第二次世界大戦中の不安定な時期に発表された1941年型フォードは、新しいデザインを導入していた。1942年のモデルイヤーに再登場したものの、米国の自動車工場が軍用トラック、戦車、飛行機、ジープ、兵器の製造に重点を移したため、短命に終わった。1946年に再開し、1948年まで製造された。

フォード(1941年)
フォード(1941年)

フォード(1949年)

1948年、フォードは戦後初の完全な新型車を発表した。創業者ヘンリー・フォード氏の死後、初めて導入された完全な新車である。1949年モデルとして発表されたこのクルマは、ホイールベースとドライブトレインのみを先代から引き継ぎ、ゼロから再設計された。スラブサイドのスタイリングから「シューボックス・フォード(靴箱フォード)」と呼ばれ、大衆に好評を博し、フォードは再び販売台数トップの座に返り咲いた。

フォード(1949年)
フォード(1949年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ。テレビゲームで自動車の運転を覚えた名古屋人。ひょんなことから脱サラし、自動車メディアで翻訳記事を書くことに。無鉄砲にも令和5年から【自動車ライター】を名乗る。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴとトマトとイクラが大好物。

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