チャップマンが驚いた「手作り」スポーツカー ギャモンMG TC(1) ベースは中古のTC ミジェット

公開 : 2024.08.03 17:45

初シーズンから連勝 2年間で80回の表彰台

調子を掴んだ彼は、数週間後のシルバーストン・サーキットで開かれた、メイドストン&ミッドケント・モータークラブイベントへエントリー。スタート直後に、トップを快走するフレイザー・ナッシュへ接近。追い越すと、大差を付けて優勝を掴んだ。

ライバルとして、新しいTD ミジェットも参戦していたが、まったく寄せ付けない速さだった。彼は興奮のあまり腕を振り回すと、着ていたシャツが破れ、旗のように風を受けたとか。

ギャモンMG TC(1951年)
ギャモンMG TC(1951年)

6月のシルバーストン・サーキットでのイベントでは、1.5Lエンジンのマシンが、4.5Lエンジンのアラードを猛追。優勝は叶わなかったが、2秒差での2位を勝ち取っている。

7月にも、MGカークラブのイベントで優勝。同月後半に開かれた、第10回グッドウッド・メンバーズミーティングでも優勝。ロータス・シックスを駆ったチャップマンを破るという快挙だった。

以降の1952年シーズンも、勝利は続いた。カッスルクームやスネッタートンなど、グレートブリテン島各地のサーキットで、表彰台の頂点へギャモンは登った。

翌1953年に開かれた、英国パフォーマンスカー・トロフィーでも、チャップマンへ再び勝利。シルバーストン・モータースポーツ・トロフィーなど、複数のレースでも強さを見せつけた。

かくして、彼が表彰台へ登ったのは2年間で80回。今では考えられないような記録を残している。

ロータス・シックスでも速かったギャモン

ロータスを率いるチャップマンは、ギャモンMG TCの強さが、販売に影響していると判断。1953年末に、自身のシックスを彼へ譲ったようだ。

他方、ギャモンはロータスのシャシーを高く評価していた。1954年シーズンをシックスで戦った彼は、英国パフォーマンスカー・トロフィーで連勝。10クラスに別れた英国エンパイア・トロフィーでも、総合3位を勝ち取り、シックスの存在を強く印象付けた。

ギャモンMG TC(1951年)
ギャモンMG TC(1951年)

ロータス・セブンの開発資金の一部が、ここから発生したことは間違いない。エンジンは、通常ならフォード製ながら、MG由来のXPAGユニットへ載せ替えられていたが。

彼の活躍の傍らで、ギャモンMG TCには走る機会が巡ってこなかった。自動車雑誌、オートスポーツの売買欄を通じて、シーズン後に450ポンドで手放されている。

ギャモン自身は、その後もモータースポーツで活躍。エルバやクーパー、ローラのマシンをドライブし、1959年に引退している。

ギャモンMG TCを購入したのが、ル・マン24時間レースへの出場経験も持つジミー・ブルーマー氏。調整を加え1955年のイベントへ参戦するが、1957年にはジョン・スウィフト氏へ譲渡された。

彼は、シルバーストンでのイベントやヒルクライム・レースへ参加。ヒーレー・シルバーストーンやACエース、トライアンフTR2より加速力は上だったと、言葉を残している。

この続きは、ギャモンMG TC(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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