羨望の「ポルシェライン」! W124型 メルセデス・ベンツ500 E(1) 登場を促したのは初代セルシオ

公開 : 2024.08.10 17:45

重要なモデルとしてメルセデスを支えたW124 ポルシェが設計した高速サルーンの500 E 6.0L V8を載せたE 60 AMG 吹き飛ばされるように突き進むボディ 英編集部が垂涎の1台を振り返る

1980年代のメルセデス・ベンツを支えたW124

傑作と呼ばれたW123型の後継として、1985年にメルセデス・ベンツが発売したのがW124型。より軽量で走行性能に優れ、正式に「E」を肩書にした始めてのモデルとなった。当初は、ミディアム・クラスを名乗ったが。

ドイツ南部のジンデルフィンゲンで開発された、それ以前の保守的な誠実さを受け継ぎ、今でも本物のメルセデスとして支持は厚い。BMWアウディだけでなく、躍進する日本ブランドとの競争へ全面的にさらされたことも、触れない訳にはいかない。

メルセデス・ベンツE 60 AMG(W124型/1995年式/欧州仕様)
メルセデス・ベンツE 60 AMG(W124型/1995年式/欧州仕様)

W201型の190クラスは、高級コンパクト・サルーンという新市場へ対応。他方、強固なボディ構造にリアのマルチリンク式サスペンション、空力的なボディデザインなど、同様のコンセプトがW124にも展開されていた。

現代的で威厳漂わせるスタイリングを導いたのは、ブルーノ・サッコ氏率いる同社のデザインチーム。空気抵抗を示すCd値は0.28で、当時の量産車としては最小値といえた。側面衝突や横転事故の安全性に対しては、最新の思考が落とし込まれていた。

パワートレインは、キャブレターが載る2.0L直列4気筒に加えて、シングル・オーバーヘッドカム・ヘッドの2.6Lか3.0Lの直列6気筒を設定。ミディアム・サイズのサルーンとして、上流階級だけでなく、タクシーとしても需要は高かった。

数年後には、ステーションワゴンも登場。クーペにコンバーチブル、リムジンと、多様なボディスタイルが展開され、同社で最も重要なモデルとして、9年間に約250万台がラインオフしている。

500 Eの登場を促したレクサスLS 400

そんな成功モデルのW124型は、高性能サルーンの領域へ一歩を踏み出したことも、見逃せない功績だろう。ポルシェに並ぶ動力性能を秘め、BMW M5に対するメルセデス・ベンツからの回頭といえたのが、今回取り上げる500 Eだ。

300 SEL 6.3や450 SEL 6.9という、Sクラス相当のV8サルーンも過去には擁していた。先代のW123型でも、パワフルな6気筒エンジンを選ぶことはできた。だが、猫を被ったライオンのような、ステルス・サルーンとはいえなかった。

メルセデス・ベンツ500 E(E 500/1991〜1994年)
メルセデス・ベンツ500 E(E 500/1991〜1994年)

この登場には、レクサスLS 400(初代セルシオ)が大きな影響を与えた。トヨタから派生した高級ブランドの大型サルーンは、1989年に発売。初期のW124型より速く静かで、製造品質は高くお手頃だった。

主要市場は北米とされ、現地では実際に大ヒット。メルセデス・ベンツが保持していたシェアの、半分以上を奪ったといわれている。

LS 400の車格はSクラスに並ぶものといえたが、次期W140型が発売されることになるのは1991年。北米のメルセデス・ベンツ・ディーラーは、日本の黒船へ対抗するため、古くなかったW124型へのV8エンジン搭載をドイツ側へ強く要求した。

そこで登用されたのが、Sクラス向けだった4.2Lユニット。400 E(後にE 420)と名付けられ、レクサスの正式なライバルになった。6万ドルという北米価格は安くなかったが、不足なく速かった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

W124型 メルセデス・ベンツ500 Eの前後関係

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