75ベースの「四角い」シルエット アルファ・ロメオRZ(1) ひと塊のチーズのよう?

公開 : 2024.08.18 17:45

過去のどんなモデルにも似つかないクーペ

フロントサスペンションは、75と同じダブルウイッシュボーン式。だがトーションビームではなく、コイルスプリングが支えた。リアはドディオンチューブとトレーリングアーム、アンチロールバーという組み合わせだ。

関節部分には、ゴムブッシュではなくピロボールを採用。ネガティブキャンバーで、コーナリングフォースに備えた。

アルファ・ロメオRZ(1992〜1994年/欧州仕様)
アルファ・ロメオRZ(1992〜1994年/欧州仕様)

ウェッジシェイプのボディパネルは、SZのために新しく開発されたメタクリル樹脂で成型。75由来のシャシーに溶接した、スチール製のスケルトンフレームに固定された。

フォルムはスクエアだが、フィアットの風洞実験施設でテストが重ねられ、空気抵抗を示すCd値は0.30と優秀。一般的に、SZのスタイリングはザガートによるものだと考えられているが、実際はアルファ・ロメオの社内デザイナーが仕上げている。

デザイナーのロバート・オプロン氏とアントニオ・カステッラーナ氏の2人は、過去のどんなモデルにも似つかない、オリジナルのクーペを描き出した。以降のモデルを含めても、これほど賛否両論を呼んだアルファ・ロメオは存在しないといっていい。

発表は、1989年3月のスイス・ジュネーブモーターショー。華々しくブースに展示されると、あっという間に否定的な意見が渦巻いた。

見た目を酷評する自動車メディアも多かった。ジャーナリストの1人、ラッセル・バルギン氏が、ドクターマーチンのブーツのようだと批判したことは英国では有名だ。

新たに成型されたRZのボディパネル

他方、SZを理解する人は、熱烈といえるような称賛を送った。話題性は小さくなく、理想的な露出も導いた。実際、多くのメディアの紙面を飾っている。

それでも、アルファ・ロメオが多くの受注を集めることはできなかった。マーケティング的には、成功とはいえないだろう。新車時の英国価格は4万5000ポンドと、間違いなく高価でもあった。

アルファ・ロメオRZ(1992〜1994年/欧州仕様)
アルファ・ロメオRZ(1992〜1994年/欧州仕様)

SZの生産を請け負ったのはザガート社で、設定されたボディカラーは、レッド/グレーのツートーンのみ。ただしアンドレア・ザガート氏は、自身のための1台をブラックで仕上げている。生産数は1036台で、そのうちの38台はプロトタイプだった。

少なくない数が、投機目的で購入されたといわれている。ところが、その後の世界的な不景気により、狙い通りの利益は得られなかったようだ。

SZは1991年に生産が終了する一方、アルファ・ロメオは以前からスパイダーの開発も進めていた。翌1992年のフランス・パリ・モーターショーで、RZが発表される。これには、ルーフを切り取った以上の改良が施されていた。

メカニズムはSZと基本的に同一ながら、ボディパネルの多くは改めてデザイン。フロントフェンダーとトランクリッド以外、新たに成型されたという。当時のアルファ・ロメオは、400か所以上の違いがあると主張している。

この続きは、アルファ・ロメオRZ(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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