公道で乗りやすくサーキットも有利! ヒーレー・シルバーストン(1) 部品の総和以上の完成度

公開 : 2024.08.24 17:45

サルーンのエリオットが初の量産モデル

拠点となったのは、グレートブリテン島中部のローワーケープ。使われなくなった英国軍の格納庫が、ワークショップになった。

シャシーは独自に設計され、最終的にはヒーレーのすべての量産モデルで基礎骨格を担った。パワートレインなどのメカニズムは、実績のあるライレー社から調達し、優れた費用対効果を生み出した。

ヒーレー・シルバーストン(1949〜1950年/Eタイプ/英国仕様)
ヒーレー・シルバーストン(1949〜1950年/Eタイプ/英国仕様)

当初のエンジンは、オールスチール製の2.4L直列4気筒。カウンターウェイトでバランス取りされたクランクシャフトを備えるツインカム・ユニットで、オリジナルの最高出力は控え目な86psだった。

しかし、サイドドラフトのSUキャブレターを2基組むなど、各部を改良。105psを引き出し、新しい自動車メーカーとして話題を集めるのに充分な性能を得た。

初の量産モデルとなったのが、流線型のアルミニウム製ボディをまとう美しいサルーン、ヒーレー・エリオット。その頃の自動車雑誌のテストでは、168.4km/hの最高速度を記録している。

ドナルドの長男、ジェフは1948年のイタリア・ミッレ・ミリア・レースへ出場。エリオットのロードスター仕様、ウェストランドで総合9位という好成績を残した。

モータースポーツを前提にしたマシンは、必然的に次のステップとして計画された。公道での乗りやすさを損なうことなく、サーキットで有利な戦いも可能という、絶妙なバランスが狙われた。

コンポーネントの総和以上の仕上がり

かくして、1949年に登場したのがシルバーストン。英国だけでなく、重要な新市場になっていた北米でのクラブレース人気へ同調するように、予算の限られたアマチュアが想定された。普段使いも可能で、高くない価格を正当化した。

見た目は葉巻型のレーシングカー然としているが、その内側はエリオットとほぼ同一。シャシーやパワートレインを流用し、英国価格は975ポンドへ抑えられた。その頃の英国では、1000ポンドを超えると購入税が大幅に増えたことも影響しているが。

ヒーレー・シルバーストン(1949〜1950年/Eタイプ/英国仕様)
ヒーレー・シルバーストン(1949〜1950年/Eタイプ/英国仕様)

シルバーストンは、個々のコンポーネントの総和以上といえる完成度にあった。ライレー由来の4気筒エンジンは、後方部分を削って短縮されたスチール製ボックスセクション・シャシーの中央寄りへ搭載。重量配分が改善されていた。

ホイールベースは、エリオットと同じ2590mm。サスペンションはフロントが独立懸架式で、コイルスプリングにレバーアーム・ダンパー、アルミニウム製スイングアームで構成された。

リア側は、ラジアスアームとコイルスプリング、伸縮式ダンパー、パナールロッドという組み合わせ。扱いやすい操縦性を叶えていた。

ステアリングの設計は、ヒーレーが特許を取得。回転プレートとロッドを用いたもので、高精度を叶えつつキックバックを抑えた。望ましい調整は難しいが。

滑らかなスタイリングは独特。アルミ製の2シーター・ボディを成形したのは、コーチビルダーのアビーパネルズ社で、プロポーションは低い。フロントガラスの高さを調整でき、1番下げると一層低く見える。

この続きは、ヒーレー・シルバーストン(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ヒーレー・シルバーストンの前後関係

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