廃車の天国 米巨大ジャンクヤードで見つけた「お宝」 40選 前編 日本車も多数発見

公開 : 2024.08.24 18:05

オールズモビル・ジェットスター88(1964年)

1964年、オールズモビル・ジェットスターの「ホリデー・ハードトップ」はわずか1万9325台しか生産されなかった。この個体はジェットファイア・ロケットと呼ばれるV8エンジンを失って久しいが、当時は0-97km/h加速約9秒、最高速度は時185km/hと謳われた。

オールズモビル・ジェットスター88(1964年)
オールズモビル・ジェットスター88(1964年)

ルノー・フエゴ

希少性が価値につながるとすれば、ローナーズは4台のルノー・フエゴで大金を手にすることになる。1982年から1986年の間に、AMCのディーラーを通じて9万4000台が販売された。

しかし、現実はそう単純なものではなく、誰も欲しがらないフランス車が4台もあるのだ。フエゴは南米でも組み立てられ、1990年代まで生産が続けられた。

ルノー・フエゴ
ルノー・フエゴ

シボレー・ベガ・カムバック

ローナーズには、石を投げれば当たるほどシボレー・ベガ・カムバックがたくさんある。魅力に欠けるモデルかもしれないが、色で補って余りある。この団体には修復可能なものはないようだが、希少なスペアパーツの宝庫である。

シボレー・ベガ・カムバック
シボレー・ベガ・カムバック

ポンティアックサンバード・サファリ

一見すると、これもベガ・カムバックのように見えるかもしれないが、実際はもっと希少なポンティアック・サンバード・サファリだ。1978年に8424台、1979年に2902台が生産された。いずれにせよ、実に希少なクルマである。この1台をさらに珍しいものにしているのは、ウッドパネルである。

ポンティアック・サンバード・サファリ
ポンティアック・サンバード・サファリ

ビュイック・スカイホーク(1975年)

初代ビュイック・スカイホークは、シボレー・ベガをベースにしたクルマである。サブコンパクトのハッチバックとして1974年に世に送り出され、1980年まで生産された。

カメラに最も近いオレンジ色の個体は1975年型のようで、同年に生産された2万9448台のうちの1台ということになる。後ろに写っているのは、その数年後輩と思われる。

ビュイック・スカイホーク(1975年)
ビュイック・スカイホーク(1975年)

ビュイック・インヴィクタ(1963年)

1963年に販売されたビュイック・インヴィクタはわずか3495台で、他の部品取り車が見つかる可能性は限りなく低い。

ラテン語で「無敵」を意味するインヴィクタの名がビュイックのラインナップに初めて登場したのは1959年のこと。ルセーバーをベースに大排気量エンジンを搭載したインヴィクタは、当初さまざまなボディスタイルで提供された。しかし、1963年までにはほとんどがワイルドキャットに置き換えられ、ステーションワゴンのインヴィクタだけが残った。

ビュイック・インヴィクタ(1963年)
ビュイック・インヴィクタ(1963年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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