廃車の天国 米巨大ジャンクヤードで見つけた「お宝」 40選 後編 日本車も多数発見

公開 : 2024.08.24 18:25

クライスラー・ルバロン

1955年から1975年の間、ルバロンの名はインペリアルという高級車ブランドによって使用された。同ブランドが廃止されると、その名はクライスラーに引き継がれた。写真の個体は初代モデルだが、この角度から見ると1980年製か1981年製かを判断するのは難しい。1980年にはかなり多くの台数が販売されたことから、この年のものである可能性が高い。

1982年、ルバロンはクライスラーのKプラットフォームを採用する。

クライスラー・ルバロン
クライスラー・ルバロン

ダッジ・チャレンジャー

ダッジ・チャレンジャーといえば、何が思い浮かぶだろうか? おそらく2023年の最高出力1025psのSRTデーモン170か、あるいは名作カーアクション映画『バニシング・ポイント』の1970年型R/Tだろう。1つだけ確かなことは、そのどれにもあてはまらないということだ。

これは三菱ギャラン・ラムダで、1978年から1983年までチャレンジャーとしてリバッジされていた。前輪駆動のサブコンパクトクーペであり、最高出力77psまたは105psの4気筒エンジンが用意された。コワルスキーの逃走劇には力不足だろう。

ダッジ・チャレンジャー
ダッジ・チャレンジャー

プリムス・チャンプ(1981年)

このプリマス・チャンプLSもまた、日本で “鹵獲” されて持ち込まれた輸入車の一例である。中身は三菱ミラージュで、1981年に8万4144台販売された、手頃な価格の3ドア・コンパクトである。安かっただけでなく、燃費の良さからも消費者に珍重された。

それにしても、もはやこのクルマのアイデンティティなど気にする人はいないのだろう。写真の個体には、誰かがフォードのホイールを装着している。

プリムス・チャンプ(1981年)
プリムス・チャンプ(1981年)

アウディ5000

第3世代のアウディ100は、米国では「5000」とも呼ばれ、1982年に生産が開始された。スタイリッシュでエアロダイナミクスに優れており、欧州では好調な売れ行きを見せたが、米国では突然の「意図しない加速」に端を発するリコールにより、困難に直面した。

この個体はドアも窓もすべて閉まっているにもかかわらず、車内に草が生えているようだ。おそらく床に穴が開いているのだろう。

アウディ5000
アウディ5000

AMCグレムリン

シボレー・ベガ、フォード・ピント、フォルクスワーゲンビートルに対抗するコンパクトカーを発売するなら、燃費は最優先事項のはずだ。しかし、AMCグレムリンの設計者はそのメモを見落としたようだ。発売当初、グレムリンは3.3L 6気筒エンジンを標準装備していた。

比較的速く、(少なくともライバル車と比べると)静粛性も高かったが、平均燃費はわずか7.5km/lである。

AMCグレムリン
AMCグレムリン

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事