融資を止めた「離れ技」 トライアンフ・スタッグ・サルーン/エステート(1) V8も入ったエンジンルーム

公開 : 2024.08.25 17:45

スタッグの部品を2.5 PI エステートへ移植

市販仕様の製作を決めたラインズは、売るなら徹底的な内容が望ましいと判断。1969年にリリースされたMk2が、ベース車両に選出される。見た目はMk1からアップデートされ、スタッグから8か月ほど先行して提供が始まっていた。

そのMk2では、キャブレター仕様の2000や2500と並行して、燃料インジェクションの2.5 PIもトライアンフは発売。そのエステートは、英国市場では最速のステーションワゴンと呼べる性能にあった。

トライアンフ・スタッグ・エステート(1970〜1976年/アトランティック・ガレージ仕様/英国仕様)
トライアンフ・スタッグ・エステート(1970〜1976年/アトランティック・ガレージ仕様/英国仕様)

ラインズは、サスペンションとリアアクスル、ブレーキなど、スタッグの殆どの部品を、ブリティッシュ・レイランドから購入した1972年式の2.5 PI エステート用ボディシェルへ移植。V8エンジンで増強されるパワーへ備えた。

加えて、3年に及ぶガレージの経営とラリー参戦を通じ、トライアンフをより良くする方法も習得していた。リアフェンダーは、ワイドな7.5Jホイールが組めるよう切断。リアサスペンションには、高性能なアームストロング社製ダンパーが採用された。

V8エンジンは、技術者のリチャード・ロングマン氏がチューニング。ガスフローヘッドが組まれたユニットで、ラインズは引き上げられた性能を気に入っていたようだ。

特別感を高めるため、リミテッドスリップ・デフに電動サンルーフ、レカロシート、ミニライト・アルミホイール、パワーウインドウも装備。スモークガラスや、8スピーカーのサウンドシステムも組まれた。

トライアンフの不満を買い融資がストップ

購入を希望する人へ向けて、ラインズはデモカーも製作。タータン・レッドに塗装され、ナンバープレートはDEL 33が与えられ、自らの足としても乗られた。

今回ご登場願った、アトランティック・ガレージ仕様の「スタッグ」エステートが、まさにそのクルマ。現在確認されている生存車両は4台のみだから、とても珍しい。

トライアンフ・スタッグ・サルーン(1970〜1976年/アトランティック・ガレージ仕様/英国仕様)
トライアンフ・スタッグ・サルーン(1970〜1976年/アトランティック・ガレージ仕様/英国仕様)

自動車雑誌のモーター誌は、1973年11月にこの特集を組んでいる。新しいボディシェルで作られるスタッグ・エステートは、オプション込みで約3000ポンドで購入できると紹介された。2.5 PI エステートは2505ポンドだったから、妥当な金額だろう。

だがトライアンフは、スタッグのエンブレムを貼った社外の派生モデルを気に入らなかった。取引き銀行と両親へ圧力がかかり、アトランティック・ガレージへの融資はストップ。資金繰りに余裕はなく、1か月に1台程度の生産へ制限された。

1976年には、ブリティッシュ・レイランドはボディシェルの供給を停止。最終的に、25台しか生産はできていない。

これには3台のサルーンも含まれていた。ラインズのラリー仲間で、コ・ドライバーも務めたマイク・フーパー氏へ製作されたのが、今回ご紹介するミモザ・イエローの1台。1975年式で、現存する唯一の「スタッグ」サルーンだ。

この続きは、トライアンフ・スタッグ・サルーン/エステート(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

トライアンフ・スタッグ・サルーン/エステートの前後関係

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