アメリカを支えた「コミカル」な小型トラック フォードF-1(1) 市場を変えた一大発明

公開 : 2024.08.31 17:45

北米で最多販売のクルマ、トップ3はピックアップ 嗜好の起源にある初代Fシリーズ トルクフルで洗練されたフラットヘッドV8 驚くほど鋭いアクセルレスポンス 英編集部が魅力をご紹介

ステーションワゴンに代わる働くクルマ

欧州にもピックアップトラックや貨物バンは古くからあったが、それは乗用車ベースが主流だった。あえて選んで乗るようなものではなく、荷物を運ぶ必要性から運転されることが一般的といえた。

純粋に商用目的で開発されたモデルが、グレートブリテン島を本格的に走り始めたのは1965年。フォード・トランジットが、革命的な変化をもたらした。しかし大西洋の向こう側では、その20年前に市場を一変させる発明が生み出されていた。

フォードF-1(初代/1947〜1952年/北米仕様)
フォードF-1(初代/1947〜1952年/北米仕様)

1945年頃から、アメリカでは市場調査という新たな科学が一般化。そこから、実務目的を果たしつつ、公道での快適性や走行性能を満たした、ステーションワゴンに代わる働くクルマの必要性が導かれた。

果たして、1947年11月にフォードが発売したのが、Fシリーズと呼ばれるピックアップトラック。年式的には1948年式で、乗用車の改良版ではなく、完全な独自設計が施されていた。2024年の北米におけるベストセラー、F-150の祖先だ。

フレームシャシーにはクロスメンバーが3本与えられ、堅牢なショックアブソーバーを実装。エンジンは、実績を積んだ既存の直列6気筒かV型8気筒のフラットヘッド・ユニットが採用された。

サスペンションは、前後とも従来的なリーフスプリングが支えたが、当時のフォードはステーションワゴンにも独立懸架式を採用していなかった。魅力を損なうような、弱点ではなかった。

経済活動の再建に合致したピックアップ

ラバー製マウントを挟んで、シャシーへ載せられたボディのスタイリングは、曲線基調のコミカルなもの。充分な最低地上高が与えられ、今へ続くピックアップトラックの原型といえるパッケージングにあった。

世界初となる生産ライン方式の量産車、1908年に発売されたモデルTの時代から、フォードは商用車を提供。通算1700万台を販売し、ユーザーの高い評価を集めていた。

フォードF-1(初代/1947〜1952年/北米仕様)
フォードF-1(初代/1947〜1952年/北米仕様)

創業者のヘンリー・フォード氏自身が、農家出身だった。乗用車以上に、安価なトラックの必要性が重視されていたようだ。

1941年に太平洋戦争が始まると、フォードは爆撃機やウイリス・ジープ、運搬用トラック、戦車用エンジンの生産へ注力。民間向けモデルの提供は、鈍化していった。

しかし終結後は、停滞していた経済活動の再建と、新規事業の立ち上げが加速。そんな社会情勢へ、ピックアップトラックは見事に合致していた。自動車の需要は、民間産業が活気づくのに合わせて急速に拡大していった。

戦後に提供され始めた乗用車の多くは、1942年以前の設計といえた。本格的に新しいモデルが登場したのは、1949年を過ぎてから。だがFシリーズのユーザーは、ひと足先に新世代を入手することができた。

GMとクライスラーも競合モデルを生産していたが、基本的には1940年代初頭のモデルへ改良を施したものだった。発売から1954年までは、V8エンジンを搭載した唯一のピックアップトラックでもあった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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