【担当者は超エンスー!】 アストン マーティン・ヴァリアントを深掘り

公開 : 2024.08.16 17:45  更新 : 2024.08.20 19:45

アストン マーティンはヴァラーをベースにしたサーキット重視のスペシャルエディション、ヴァリアントを日本でも公開。その開発に携わったビスポークサービス「Q by Aston Martin」部門に所属するサム・ベネッツさんに、その成り立ちなどについてお話を伺いました。

往年のレーシングカー、マンチャーに近いヴァリアント

まず気になったのは、ヴァラーは公道90%、サーキット10%という開発の方向性に対し、ヴァリアントは公道10%、サーキット90%という真逆な成り立ちにも関わらず、どちらもレースカーだった「RHAM/1マンチャー」からインスピレーションを受けているという点だ。

大きなデザイン面では確かにDBSベースのマンチャーに近いが、それはどういうことなのだろう。

「Q by Aston Martin」部門に所属するサム・ベネッツさん
「Q by Aston Martin」部門に所属するサム・ベネッツさん    田中秀宣

サムさんは、「ヴァラーはロードカーにフォーカスしてつくっていますので、ロードカーに必要なフィーチャーを揃えています。一方のヴァリアントは、より過激にすることが許されましたので、さらにマンチャーとのつながりが強くなったということです」という。つまりヴァラーは雰囲気を、ヴァリアントは過激な走りをマンチャーから引き継いだということだ。

マンチャーは、1974年、スタッフォードシャーのアストン マーティン・ディーラー、ロビン・ハミルトンが1970年型DBS V8(DBSV8/10038/RC)をAMOCレースイベントに出場させ始めたことが始まりだ。

そのシャシーナンバーは1977年のル・マン24時間レースに出場することを意図してRHAM/1(ロビン・ハミルトン・アストン マーティン#1)に変更。520psを発生するエンジンを搭載したマシンは、予選のミュルサンヌ・ストレートで時速188マイルを記録した。

RHAM/1は、ロビン・ハミルトン、デイブ・プリース、マイク・サーモンがドライブし、総合17位(スタート55台中)、クラス3位(GTPカテゴリー)という成績を収めた(因みに優勝はマルティーニ・レーシングのポルシェ936)。1979年にル・マンにも参戦したが、エンジントラブルでリタイアしている。

イギリス人魂を揺さぶる

サムさんはこのマンチャーについて、「ル・マンにおいてはどちらかというと優勝候補になるようなレベルのクルマではありませんでしたし、レース結果も満足のいくレベルではありませんでした。でもそこにはイギリス人魂みたいなもの、弱いにもかかわらず強いものに戦いを挑むみたいなところがマンチャーには感じられたのです。そこで皆、特別な存在として見ていました」と話す。

そして、「アストン マーティンは110年の歴史があるユニークな会社ですので、過去を振り返ると、そこから様々なインスピレーションを得ることができますし、多くのお客様はアストン マーティンの歴史を我々以上に知っている情熱的な方々です。だからこそ、そういった歴史に愛着があるんですね」と述べた。

「お客様はアストン マーティンの歴史を我々以上に知っている」とベネッツさん
「お客様はアストン マーティンの歴史を我々以上に知っている」とベネッツさん    田中秀宣

それこそが、当時のレース界からすれば少々時代遅れかも知れないマンチャーが、いまの時代、大排気量と大パワー、リア駆動という最新とはいえないパワートレインを纏ったヴァラーやヴァリアントのモチーフに選ばれた理由なのだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    内田俊一

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    田中秀宣

    写真が好きで、車が好きで、こんな仕事をやっています。
    趣味車は89年式デルタ・インテグラーレ。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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