「戦闘機」用エンジンのKRIT 100HP 公道レース3連勝のSCATタイプC 100年前の大排気量モンスター(2)

公開 : 2024.09.01 17:46

タルガ・フローリオで連勝 4気筒の9230cc

SCAT タイプC レーサーは、当初からレーシングカーとして作られ、第一次大戦前の公道レースで3連勝を遂げている。アンドリュー・デイビス氏がオーナーのクルマは、その1度目の勝利を掴んだ1911年式の精巧なレプリカだ。

1906年に、ジョヴァンニ・セイラーノ氏がイタリア・トリノで創業したのがSCAT社。その時点で、弟のマッテオ氏とともに、自動車ビジネスの基礎が築かれていた。

SCATタイプC レーサー(1911年)
SCATタイプC レーサー(1911年)

シチリア島で開かれた公道レース、タルガ・フローリオでの活躍は、創業間もないブランドにとって重要なプロモーションに繋がった。ライバルには、メルセデス・ベンツランチアアルファ・ロメオなどが名を連ねた。

戦いを有利に進めるのに、SCATの22/32シャシーに載る、既存の4.4Lユニットではパワーが足りなかった。そこで目が付けられたのが、アメリカ・ニューヨークのシンプレックス・オートモービル社が生産していた、4気筒9230ccのTヘッド・エンジンだ。

ただし、潤滑システムが充分ではないと、タルガ・フローリオの検査員は指摘したらしい。カムシャフト駆動のオイルポンプが追加されている。

最高出力は101psで、クロスフロー・シリンダーヘッドを採用。吸気バルブと排気バルブがブロックを挟んで対向にレイアウトされ、ゼニス・アップドラフト・キャブレターが組まれている。トランスミッションは、フランスのダラック社製4速だ。

オリジナルのマシンは、ジョヴァンニの兄弟、エルネスト・セイラーノ氏によって、シチリアのロードコースを9時間32分22秒で3周。平均時速、46.8km/hを記録している。

自動車産業のチャレンジ精神を現代に伝える

デイビスのクルマは、その1911年の優勝マシンが忠実に再現されている。駆動系は当時の部品で、シャシーやアクスルも22/32のもの。1980年代に、オーストラリアのコレクターから提供されたらしい。

彼がオーナーになったのは、2007年。多くのクラシックカー・イベントへ参戦し、マロリー・パーク・サーキットのディック・バディリー・トロフィーでは優勝した経験もあるそうだ。長期休暇には、欧州大陸を巡ってもいるとか。

SCATタイプC レーサー(1911年)
SCATタイプC レーサー(1911年)

ピットレーンに佇む容姿は、絶妙なヤレ具合。多くのレースを経てボディには傷が付き、走りにストイックな雰囲気をにじませる。

シェルが籐で編まれたシートは、背もたれが低いが座り心地は良い。バルクヘッドへ複数のメーターが並び、タコメーターが良く目立つ。200rpm刻みで、1000rpmまで振られている。

右側には、通常のHパターンのシフトレバー。3枚並んだペダルは、現代のモデルと同じく、右側がアクセル。燃料ポンプとイグニッションをオンにし、スターター・ボタンを押すと、巨大な4気筒エンジンは始動する。

ステアリングホイールの遊びは大きい。ここまで低く回るエンジンを積んだ、クルマの運転は初めて。変速には癖があるものの、驚くほど速い。アイドリングから回転数を僅かに高めただけで、マロリー・パークを猛然と駆け抜ける。

黎明期にあった自動車産業のチャレンジ精神を、現代に伝える今回の3台。100年以上が経過しても、他では味わえないような興奮をわれわれに与えてくれる。後世へ残すべき、貴重な産業遺産といっていいだろう。

協力:マロリー・パーク・サーキット

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

100年前の大排気量モンスターの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事