今も「世界最高リムジン」は過言じゃない! ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1)

公開 : 2024.09.07 17:45

ロールス・ロイス最後の社外ボディの1つ

ロンドンの南東、ブロムリー地区に拠点を置いたジェームズ・ヤング社は、デザイン番号980が振られたパークウォード社の7シーター・リムジンと並行し、当初からツーリングリムジンを提供した。戦後で最もエレガントだと、高く評価を集めるボディだ。

メルセデス・ベンツ600 プルマンやキャディラック・フリートウッドなど、同時期にはいくつかのリムジンが作られている。しかし、この威風堂々とした佇まいに匹敵する例は、存在しなかったといっていい。

ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)
ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)

後に、マリナー・パークウォード社も独自のツーリングリムジンをデザイン。競合するボディを生み出してはいるが、6台を製造したところで断念している。

英国には複数の名門コーチビルダーが存在した。しかし、自動車の進化とともに数は減少。名門のフリーストーン&ウェッブ社やフーパー社は倒産し、パークウォード社はHJ.マリナー社と同時にロールス・ロイスへ吸収され、お抱えコーチビルダーになった。

その結果、ジェームズ・ヤング社はロールス・ロイスのシャシーへ特別なボディを架装する、唯一の独立したコーチビルダーに。そしてファントムV リムジンが、ロールス・ロイス最後の社外ボディの1つになった。

ジェームズ・ヤング社はPV15リムジンと、ルーフラインが低いPV22ツーリングリムジンと呼ばれる2種類のほか、オーナー自らの運転を想定したサルーンもデザイン。約6mあるシャシーのために、巨大な2ドアサルーンも2台生み出している。

ロールス・ロイスのラインナップで最高額

PV22の内、SDセダンカ・ドゥヴィルと呼ばれるボディは10台が作られ、最後の2台にはリア側にフーパー社風のクオーターウインドウが与えられた。このデザインに対し、ジェームズ・ヤング社はフーパー社へ1台25ポンドの使用料を支払ったという。

1965年には、そのウインドウは標準装備に。PV15はPV16へ、PV22はPV23へ、後期型ではスタイル名が改められている。

ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)
ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)

ドアの隙間は極めてタイトで、インテリアには見事なキャビネットが設えられた。ドアハンドルの四角いボタンに至るまで、仕上げには徹底的にこだわられた。

ヘッドライトは当初2灯だったが、後期型のPV16では4灯へ。エンジンは、SUキャブレターが載り圧縮比が高められた、シルバークラウドIII用のV8ユニットへ置換された。パワーステアリングも、アップグレードを受けていた。

1966年仕様のファントムV ジェームス・ヤングは、マリナー・パークウォード・ボディより250ポンド高く、当時のロールス・ロイス全ラインナップでの最高額に据えられた。1965年のフェラーリ500 スーパーファストは、更に2000ポンド高かったけれど。

この続きは、ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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