ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(2) 優雅で機能的 105年の歴史の貴重な遺作

公開 : 2024.09.07 17:46

コーチビルダーのジェームズ・ヤングによる芸術、ロールス・ロイス・ファントムV ボディ製造技術で世界をリードした英国 優雅な姿で実際に機能的 今でも最高なリムジンを英編集部がご紹介

馬車用ボディで創業したジェームズ・ヤング

英国のコーチビルダー、ジェームズ・ヤング社は、多くの同業者のように馬車用のボディ製造で事業をスタート。軽量なブロムリー・ブロアムという仕様で、優れた定評を築いている。

自動車のボディ製造へ乗り出したのは、1908年。英国のメーカー、ウーズレーのシャシーへ載せられた。第一次大戦が始まると商用車のシャシー製造へ注力し、その後は自動車メーカーのサンビームとタルボのため、ボディを量産した。

ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)
ロールス・ロイスファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)

技術開発に熱心で、走行中の共鳴を防ぐ内装のヘッドライナーは、コーチビルド・ボディとして初採用している。サイドのスライドドアでは、特許を取得。後にフォルクスワーゲンが権利を購入し、コンビに採用されている。

1937年には、カーディーラーのジャック・バークレー・グループの傘下へ。アルファ・ロメオなど欧州メーカーの高級ボディを製造していたが、それを期にロールス・ロイスのみへ提供ブランドは絞られた。

第二次大戦後の従業員は120名。年間に60台前後のコーチビルド・ボディを生産し、6割は海外へ輸出された。1940年代から1950年代には、HJ.マリナー社に次ぐ規模へ成長を遂げていた。

しかし、量産車は徐々にシャシーとボディが一体のモノコック構造が主流に。新技術への対応で、ジェームズ・ヤング社は苦労することになる。

ロールス・ロイスとベントレーも、シルバークラウドとSシリーズを最後にセパレートシャシーを終了。伝統的なコーチビルド・ボディの開発は、困難なものになった。

105年に及んだ歴史 最後のボディの1つ

ジェームス・ヤング社は、2ドアのシルバーシャドウとベントレーT1を遺作として生み出し、1968年に事業を終了。105年に及んだ歴史へ幕を閉じた。熟練の職人は解雇され、多くが牛乳配達や郵便配達などの仕事へ就いたという。

今回ご紹介するのは、PV16型のファントムV。廃業する直前、1968年に初代オーナーだった実業家に納車されている。同社最後のボディの1つであることは、間違いない。

ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)
ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1959〜1968年/英国仕様)

フーパー社風のクオーターウインドウを備えており、製造数は5台のみ。ミッドナイト・ブルーの塗装に、ベージュのレザー内装で仕立てられ、取り扱ったディーラーはジャック・バークレー社。当初は858 HUWのナンバーで登録された。

10年後、エンジンが換装された時点での走行距離は約14万5000km。現役で使用されてきたことがわかる。1980年代初頭からは、ロンドン西部のノッティングヒルに住む人物が所有し、1988年に映画監督のコリン・クラーク氏が購入している。

1989年に不動産業者が買い取り、1993年には香港へ。そのオーナーは4万5000ポンドを投じて、ボディの上半分を再塗装し、化粧トリムはリフレッシュ。デュアルエアコンが追加された。

現在の所有者は、とあるビジネスマン。クラシックカー・ディーラーのクラシック・オートモービルズ・ワールドワイド社によって、新たな後継者が募られている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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