ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 前編

公開 : 2024.09.07 18:05

ホフマン(1951年)

ミュンヘンの工場長であったミヒャエル・ホフマンは、第二次世界大戦後に自分用のクルマを作ることにした。後輪操舵が特徴で、ほとんどが廃品置き場のスクラップと金物部品から作られた。彼のアイデアは単純で、小型エンジンの三輪車ということで免税となり、運転免許も不要だった。

その奇妙な形は、動力機構によるものだった。大きな長方形のフレームにエンジンを収め、複雑なレバーシステムで操縦し、車内は驚くほど窮屈だ。このデザインは流行らず、彼は自動車デザインから距離を置いた。1台だけ作られ、現在は米国テネシー州ナッシュビルにあるレーン・モーター・ミュージアムで見ることができる。

ホフマン(1951年)
ホフマン(1951年)

メルセデス・ベンツ300 SL(1954年)

ルドルフ・ウーレンハウトは1931年にメルセデスに入社し、1936年にはレーシングカー部門のリーダーとなった。エンジニアであった彼のスキルは、メルセデス・ベンツW25グランプリレーサーの後継車開発に活かされ、ほどなくしてW125が誕生した。

戦後、ウーレンハウトはメルセデスに戻り、W194 300 SLのチューブラーフレームを設計。1955年には公道走行可能な自動車として世界最速のウーレンハウト300 SLRを作り上げた。彼のW194のデザインは、フリードリッヒ・ガイガーの美しい300 SLガルウィングにインスピレーションを与えることになる。

メルセデス・ベンツ300 SL(1954年)
メルセデス・ベンツ300 SL(1954年)

ウーレンハウト300 SLRはまた、後のメルセデス・ベンツSLRマクラーレンにも影響を与えている。

ブルッチェ(1954年)

ブルッチェ(Brutsch)は奇抜なマイクロカーを製造することで知られていたが、奇抜なデザインもあって少量しか生産されなかった。1954年、デザイナーのエゴン・ブルッチェは3人乗り三輪ロードスターの「スパッツ」を製作。量産体制を整えていたが、サスペンションがグラスファイバーのボディシェルに直接取り付けられているなど、設計には欠陥が多かった。

再設計を余儀なくされ、さまざまな三輪モデルが登場したが、1956年に卵型のモペッタが登場した。その形は絶大な人気を博し、今でもレプリカが作られる。

ブルッチェ(1954年)
ブルッチェ(1954年)

フルダモビルNWF 200(1954年)

NWF 200は、BMWイセッタと同じくマイクロカーに分類されるが、サイズはわずかに大きい。子豚のような奇抜なデザインで、リアヒンジドアと、ランボルギーニに見られるような窓付きのリアエンジン・ハッチを特徴とする。

こうしたデザインは、フリージャーナリストのノーバート・スティーブンソンのコンセプトだ。スティーブンソンは自動車デザインのベテランというわけではないが、アイデアは単純だった。バブルカーよりもわずかに大きく、安定性が高く、リアの小型エンジンで走るというものだ。

フルダモビルNWF 200(1954年)
フルダモビルNWF 200(1954年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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