ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 前編

公開 : 2024.09.07 18:05

メッサーシュミットKR200(1955年)

KR200を見ると、飛行機のようなキャノピーに目を奪われることだろう。これは、KR200の設計者フリッツ・フェンドが航空技術者だったからだ。フェンドは、KR200以前にもこのようなキャノピー付きのマイクロカーを設計したことで知られている。すべては1948年、第二次世界大戦によって生まれた多くの身体障害者のために、簡単に乗り降りできる乗り物として作られたフェンド・フリッツァーから始まった。

実際には、フリッツァーの購入者の多くは身体障害者ではなく、単に安価な交通手段を求める人々だった。その結果を受け、2人乗りのフェンド150、KR175、そして最終的にKR200が生まれた。KR200は、KR175を再設計し、新しいメカニズムを搭載したもの。1964年に生産終了し、メッサーシュミットは航空機産業に戻ることになった。

メッサーシュミットKR200(1955年)
メッサーシュミットKR200(1955年)

ハインケル・カビーネ(1956年)

バブルカーブームの中でもう1つ異彩を放ったのが、ドイツの元航空機会社ハインケル・フルークツォイクヴェルケがデザインしたカビーネである。メッサーシュミットと同様、同社も手頃な価格の乗り物を求める人々の需要に気づいていた。

カビーネの非常に珍しい特徴は、リバースギアが付いていることと、万が一フロントドアが衝突して開かなくなってしまった場合に、布製のルーフが脱出用ハッチとして機能することだ。BMWを怒らせないために、カビーネのステアリングホイールはドアと一緒に開かないよう(イセッタと異なる構造)にして、特許戦争を避けた。

ハインケル・カビーネ(1956年)
ハインケル・カビーネ(1956年)

ゴッゴモビルTSクーペ(1957年)

風変わりな名前が、突飛なデザインをそのまま示唆していることがある。TSクーペもその好例だ。ゴッゴモビル(Goggomobil)の生みの親であるハンス・グラスは、自動車業界に転向する前は農業機械で知られていた。最初のモデルは1954年のコンパクトなT250(Tセダン)で、その後1957年に高価なTSクーペが登場した。

奇妙なサイズ感だが、そのサイズゆえに大成功を収めた。このデザインは、1966年にBMWがグラスの特許を取得するために同社を買収するまで受け継がれた。

ゴッゴモビルTSクーペ(1957年)
ゴッゴモビルTSクーペ(1957年)

ツェンダップ・ヤヌス(1957年)

正面から見るとヤヌスはBMWイセッタに少し似ているが、横から見るとあまり似ていない。二輪車メーカーであったツェンダップ(Zundapp)は、1956年から「高品質のバブルカー」の生産に注力するようになった。航空技術者のクロード・ドルニエは、主にドルニエDo X飛行艇の設計で知られており、ヤヌスの構想を練るために雇われた。

前後2枚のドアがあり、4人乗りだが、後部座席は後ろ向き。1958年の生産終了までに6900台が生産された。主な設計上の欠点はハンドリングの悪さで、エンジンが軽すぎたことと、乗車人数によって重心が大きく移動することが原因だった。

ツェンダップ・ヤヌス(1957年)
ツェンダップ・ヤヌス(1957年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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