ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 後編

公開 : 2024.09.07 18:25

ドイツの自動車といえば、質実剛健で保守的なデザインというイメージがあるかもしれない。しかし、時には「狂気」まじりの奇妙なデザインが登場する。ドイツで生まれた珍しいクルマを見ていきたい。

BMW M3ユート(1986年)

(この記事は後編です。前編と合わせてお楽しみください)

E30型M3は多くの人に愛されているクルマだが、BMWのM部門は1986年に密かにピックアップトラックモデルを製作していた。工場内における高性能の部品運搬車になると考えたのだ。3シリーズのコンバーチブルをベースに、ボディをカットし、M3から最高出力195psの4気筒ガソリンエンジン「S14」が心臓として与えられた。

BMW M3ユート(1986年)
BMW M3ユート(1986年)

M部門は同車を2012年まで26年間使用した。量産化されることはなかったが、BMWのユート(ピックアップトラック)ブームの火付け役となり、E39型M5やE92型M3が熱狂的なファンの手によりユート化した。

イズデラ・スパイダー036i(1987年)

036iはコンセプトカーのように見えるかもしれないが、実際には14台生産された。デザイナーのエーベルハルト・シュルツはもともと、1969年にスポーツカーのエラトGTEを設計していた。それがポルシェの目にとまり、同社の下で新たなコンセプトカー開発に取り組むことになった。メルセデス・ベンツ300SLを模倣したCW311である。

やがてチューナーのライナー・ブッフマンと出会い、共同でB&B GmbH & Co Auto KGを設立。CW311のデザイン案はメルセデス・ベンツに見せられたが、量産化は断念される。その後、シュルツはB&Bを離れ、新会社イズデラ(Isdera)にデザインを持ち込んだ。036iはCW311のプラットフォームをベースに、オープントップモデルとして開発された。

イズデラ・スパイダー036i(1987年)
イズデラ・スパイダー036i(1987年)

BMW Z1(1989年)

当時も今も、奇妙なデザインである。なぜZ1が「消えるドア」を採用したか理解している人はほとんどいない。さらに、プラスチック製のボディパネルは工具を使って1時間以内に交換可能で、カラーリングをいつでも変えることができる。Z1のリードデザイナーを務めたハーム・ラガイは、主にポルシェのカレラGTのデザインチームを率いたことでも知られているが、1960年代後半にはシムカでも働いていた。

Z1はもともと新しいアイデアを模索するために構想され、大量生産を意図したものではなく、わずか2年間のみ生産された。その低く構えたデザインは、やがてZ3に受け継がれることになる。

BMW Z1(1989年)
BMW Z1(1989年)

フォルクスワーゲン・フューチュラ(1989年)

フォルクスワーゲンの主力EV、ID.3が登場してからしばらく経つが、そのスタイリングは80年代後半のミニバンコンセプト、フューチュラ(Futura)に由来していると考えられている。具体的に誰がフューチュラをデザインしたのかは定かではないが、設計者が未来のビジョンを持っていたことは明らかで、それがこの名前の由来となっている。

IRVW(統合研究)部門に属し、EVのような外見とは裏腹に、最高出力82psの1.7Lガソリンエンジンを搭載している。四輪操舵システムとガルウィングドアを備えているが、残念ながらID.3には採用されなかった。

フォルクスワーゲン・フューチュラ(1989年)
フォルクスワーゲン・フューチュラ(1989年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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